月別アーカイブ: 2013年3月

好きな店①

甘党である。
だんご、大福、わらび餅などの和菓子系。
ケーキ、クッキー、アイスクリームなどの洋菓子系。
特にもちやゼリーなどプニョプニョした食感が好きなのです。
おもちの布団で寝たい・・・。生クリームのプールで泳ぎたい・・・。

お勧めのお菓子屋さんをご紹介。
「古町 あかはね」
木曽方面へ権兵衛トンネルに向かう途中にある。
店がオシャレだが、味もいい。店の方も親切。

店の外観
あかはね外観

店内
あかはね店内

いちご大福
あかはね店内2

和菓子店であるが、和洋折衷のお菓子もある。

春の花①

会社の中庭に福寿草が咲きました。
日当たりが悪いこともあり、近所の庭より1週間ほど遅れての開花です。

福寿草
福寿草

社内には花の好きな方がいます。
山野草を見せていただきました。
梅花黄蓮(バイカオウレン)
梅花黄蓮

檀香梅(ダンコウバイ)
ダンコウバイ

辛夷(コブシ)
コブシ

山野草に興味が・・・・わいてくる。
まずい。
はまるかもしれない。
山の中を歩いてみたが、まだ寒いせいか草木の芽も小さい。
もっと暖かくなったら探してみよう。

定年制延長と障害者雇用

65歳定年制と障害者雇用2%義務化。
お役所は何でいつもこうなるのだろう。
ある程度市場に任せてくれないと・・・。
雇用を守るのは国の仕事なのだろうか。
セーフティーネットが必要な人がいるのは確か。
でも、本人が雇用を守るのが筋ではないか。
新たな規制を設け、その規制を維持するためにお役人のポストを作る。
守られた人が自分たちを守る仕組みを作っていく。
最終的に喜ぶのは公務員で苦しむのは企業となる。
結局は社会的なコストも上昇。
2年前だったか、新卒で就職できなかった人は3年間新卒扱いとするというようなことが言われた。
これもおかしい。
”なぜ就職できないのか”を考えていないのでは。
簡単に言えば、社会が必要とする人材になっていないから就職できないのだ。
大量に安定したモノを作る時代には平均的な人材が必要だった。
でも、時代は大きく変わったではないか。
多くの人が「あの、素晴らしい時代をもういちどー」と夢見ているような。
今の混迷した世の中では雇用の流動性の方が重要ではないか。
その方が硬直化した今の組織体系から脱却し、活性化すると思う。

65歳定年制は年金の原資が枯渇したことにも起因している。
年金を食い物にしてきた人たちの責任は一切問わず、このような制度を作るなんて・・・。
働きたければいつまでも働けばいい。その人の持っている仕事上のスキルが世の中から求められているものであれば企業は買う。
だから、仕事を続けたいのであれば、必要とされる人材になるしかない。
または自分が起業して社長となるのだ。
組織にぶら下がっていたら将来は無いと緊張感を持って生きていかなくては。

障害者雇用についても同じようなことが言える。
学校を卒業する時点で企業が求める人材になっていないのが現状。
そしてお役所は「彼らはかわいそうだ・・・」と言って、施設をたくさん作る。
それ自体は悪いことではないが、本来は学校を卒業するまでの教育を充実させることが先だ。
保護者の中には法定雇用2%になって安心しきっている人がいるという。

今の日本では保護政策ばかりが先行してしまう。
保護するために新たに箱モノをつくり、人を配置し、それを維持し、・・・。
新たな価値を生み出さない仲間を増殖させていく。
でも、その社会的なコストはいったい誰が払うのか。
借金を返済するどころか、国を挙げて子供たちへ大きなツケを増やしているだけではないか。
国でやっている政策の多くは、つまるところ企業に対して”海外へ出て行ってくれ”というようなものばかり。

自分の人生も第4コーナーが目前に迫り、最後の直線も見えてきた。
ちょっとどころか、かなり頑張らなくては。

 

走る哲学

本を読むようになったのは高校に入ってから。
通学中に電車の中で読むのだ。
友達がなかなかできなかったこともあったし、満員電車が嫌で朝早く家を出て、駅からもバスに乗らずに40分歩いて学校へ行く。
ひとりでいる時間が多かったから、本を読むか単語カードをめくっているのが当たり前だった。
あのころは五木寛之や宮本輝、渡辺淳一などを好んで読んでいた。
企業に入ってからは本屋に行ってはビジネス書や新書を物色するようになった。
本の読み方は人それぞれだろう。
一気に速読する人。ゆっくり時間をかけて読む人。
自分の場合は夜寝る前に10ページくらい読む。平行して2冊くらい読みすすめる。
読み終わるのに時間がかかるが、このやり方が自分に一番合っているようだ。
文章の理解するのに時間がかかるので反芻する。
同じ本は3・4回は読むのが常だ。

最近お勧めの本は為末大の「走る哲学」「走りながら考える」。
400mハードラ―だった彼。
彼は走る哲学者だ。
ボキャブラリーが豊富で様々な角度から人の心理を分析している。
とても面白い。
ある考えに対して「本当にそうなのだろうか?」と問いかけるところからスタートしているので、
「なるほど・・・」と何度も思ってしまう。

日本は戦後の高度成長をきっかけに、平均的な発想を持つことに重点が置かれてきた。
国民はそのような教育を押し付けられてきたと言ってもいい。
時代は変わった。
自由な発想が求められる時代。
経済を中心に危機的状況にはあるのだが、日本においてはオタクやマニアの人たちが今後の鍵に違いない。
あるモノに対する深いこだわり、普通の人では考え付かない変な発想。
こういう人たちが新しい文化を創っていく。

多くの人からすると為末さんの本は理屈っぽくて嫌かもしれない。
でも、考え方はみんなそれぞれ違うはず。
こういう本を読んで色々な角度から物事を見たり、自分の深層心理に問いかける機会は大事ではないかと思う。
彼のツイッターも楽しい。
https://twitter.com/daijapan

一緒にチャレンジ

松本障害者雇用支援センター「チャレンジ・松本」という施設がある。
昨年、実習を経て一人を採用した。
指導員の方が来社され、懇談。
定年退職されるとのこと。非常に残念なことだ。
送り出した思い入れのある我が子のような存在。
お別れ。
二人の間にある微妙な空気。
何か切ない気持ち。
以前経験したことのある、自分の思い出も蘇る。

教職を10年ほど勤めていたこともあり、障害者雇用は自分のライフワークだと思っている。
学校を出てすぐに渡米。自閉症児の指導に携わった。その後、帰国し中学校で自閉症児の担任をした。
一生、教員をするつもりは無かったため、退職。
田舎志向が強く、長野へ。
自分にはいったい何ができるのか。
自分にしかできないことはあるのか。
自分は世の中のために何ができるのか。
そんなことを日々考えていた。
企業に勤める中で、一筋の光が見えた。

自閉症児に深くかかわってきた。彼らの特徴は”こだわり”があるところ。
時間であったり、数であったり、モノの位置であったり、・・・・人それぞれである。
会社に入って社員の動きを観察して気がついた。
「仕事の多くがルーティンワークではないか・・・・。」
複雑そうに見える作業も、分解すれば単純作業の組み合わせにすぎない。
「彼らが活躍できる場面がたくさんある!!しかも、その”こだわり”をうまく利用して健常者よりも質の高い仕事ができる可能性があるのではないか。」
そう思った。

製造業の生存競争は厳しい。
量産品やルーティンワークは人件費や税金の安い国へ。
社員の待遇を良くしようと思うと製品コストが上がる。仕事が取れない。
経営にとってバランス感覚は最重要課題。

障害者の一般就労はなかなか難しいのが現実。
企業と学校の考え方にギャップが大きいのが要因。
人一人を雇用するのは企業にとっては大きなこと。
給与に見合う仕事をしてもらわなくてはならない。
給与以外にかかる見えないコストも考慮にいれると安易には進められない。
社員は単なる人材ではなく”人財”。人次第で会社はどうにでもなってしまう。
教員は大学を出てすぐに先生になる。
企業に勤めてから教員になる人はほとんどいない。
所謂「世間知らず」が多い。
閉鎖的で外から叩かれることもないし、一国一城の主になる。
自分にとって教員時代の仕事は現在の仕事にも生かされている部分がたくさんある。
その当時はそれなりに世の中のことも知っているつもりだった。
ところが・・・・・、企業に勤め始めて自分が世間を知らなさすぎたことに驚愕したのを覚えている。
「辞めて良かった~。」
あのまま続けていたらとんでもないジジイになっていた。
学校現場の考えが一般社会の通念とかけ離れており、通用しないのだ。
学校という場はバリアで覆われており、教育という名のもとに聖域になっている。
その中にいる人は何の疑問もなく働いている。
鎖国のような状態と言ってもいいかもしれない。
そういう場で働いている人たちと話しをしても、全く通じない。
通じないというのは大げさだが、ずれているのだ。
2年前に養護学校から一人を採用。
その過程で障害を持った生徒の就労に向けて一緒に取り組みたいと考えていたが、その気は失せてしまった。
多くの先生は求めている情報を提供できない。生徒のことを知らないから。
彼らの将来を本気で心配しているとは思えない。
企業は提供する製品やサービスがお客様から選ばれなくてはならない。
選ばれるための努力を常にしなくてはならない。

私立は別として学校はどうか。
教員自体が守られた場所で生活している。世の中の厳しさに直面しない。直面してもすぐに安全な場所に逃げられる。
そこで教わった生徒がいきなり世の中に出ても何もできないのは当然のこと。
障害を持った生徒であればなおさらのこと。
「別に一般就労しなくたっていいんじゃない?企業のレベルに合わせると大変だ。作業所でいいじゃん。」
そういう雰囲気を感じた。
これは自分自身が教職にいた経験があるからはっきり言えるのだ。
学習指導要領というものがある。それに沿って生徒の教育にあたる。
この”現実に即していない指導要領”を遂行すること自体が目的になっていないか。
子供たちが自立し、世の中に貢献できる人材になるように導き、そして育てること。
これが本来の目的ではないだろうか。

先生たちの意識を変えるのは困難。時間の無駄だと判断した。
そんな時、チャレンジ松本の方々と出会った。
指導員の方々の多くは企業で働いていた方だ。
企業の考え方を十分理解したうえで、日常の指導をしているし、我々との考え方のギャップが少ない。
歩み寄ってくれるし、こちらも歩み寄れる。
学校を卒業してもすぐに就労できない人がいる。
そういう人たちを指導・支援し、2年間と限られた時間の中で企業就労を目指している。

長野県の人は保守的な考え方が多く、新しいことに挑戦しない傾向が強い。
私のような人間は嫌がられるし、煙たがられる。よそから来た変な奴として扱われる。
そういう人たちは私を排除したいのだろうが、当の本人は変人でいることに喜びを感じているので・・・・。
ご生憎様です。
そんなことはどうでもいい。話を戻そう。
日本で製造業として生きていく。
厳しいのは分かっている。
ロボットもいいが、”非常に特徴のある人財”を生かして対抗する。
これは他社より優位性があり、企業において自分にしかできない数少ない取り組み。
「チャレンジ・松本」。名前がいいではないか。
無論、全員を雇用することはできない。
でも、共に輪を広げていきたい。
雇用を生み出す事業を展開し、循環型の社会の形成を目指す。
多くの人がハッピーになれる方法を模索する。
一緒にチャレンジしていきたい。

 

 

今年も発症

東京は桜が満開とのこと。
長野は開花まで、あと1・2週間くらいか。
梅の花は咲き始めている。

巷では花粉症に悩まされる人がたくさん。
この季節がまた来てしまった。
”草木を買いたくなってしまう症候群”。
週末は用もないのにホームセンターへ。
そして、花や木を見てはうずうずしてくる。
芝桜、サフラン、ノースポール、ブルーベリーを買ってしまった。
ブルーベリーに至っては全部で20株くらいになったか。
数年後には小さな農園になっているかも。

植える場所を確保しなくては。
そして、また山を切り拓く。
花が咲いたり、果実を収穫することの楽しさは当然のことながら、こういったプレセス自体を楽しんでいる自分がいる。

土曜の夜

毎週土曜日の夜はトレーニングすることに決めている。
生活の一部からラグビーが消えて、鍛える目標が無くなってしまったが、もう習慣化している。
何故に筋力トレーニングするのか。
人によって理由は異なることだろう。
健康のため、取り組むスポーツのパフォーマンスを上げるため、女性にもてたいから・・・。

今はクマとの闘いに向けて、来たるべき時に備えている。
野生の熊との対峙。
1対1で出会ってしまったとき、できれば不戦勝としたい。
そのためには相手を圧倒的に威圧できる肉体でなくてはならない。
最悪、戦わなくてはならなかったときに、相手が戦意を喪失するくらいの筋力の優位性が無くてはならない。
これはまんざら冗談ではないのだが、トレーニングは自分を見つめる重要な時間となっている。

1回/週では筋力を維持するのに精一杯。
それなりの負荷をかける必要がある。
そんな時重要なのは、精神と肉体のバランス。
自分の心と体の状態を分析する。
精神的に落ち込んでいる時には重たいものも持ち上げられない。
体が疲れていても同様。
そうやって、何がそのパフォーマンスに影響してるか自分の心と体に聞く。
仕事、家庭、友人関係、・・・色々なものが心と体に作用して、パフォーマンスを上げたり下げたりする。
あまり考えすぎてもいけないが、週に一回はそうやって自分の状態を確認することで、気持ちをリセットする。
一人になれる空間を作っておくことは大事ではないか。

気分”走”快

昼休みに走った。
11月の諏訪湖マラソン以来だから4か月ぶりになる。
PM2.5と黄砂を思いっきり吸って3キロくらい走ったか。
呼吸器系には良くないが、精神的には春うららだ。
痛みがない。
嬉しい。
久しぶりに走って汗をかいた。
自分にとって運動が一番の栄養だ。

足が痛くなり始めたのは9月の終わりごろ。
昼休みに4キロくらい走るのを日課にしていたのだが、踵が痛い。
ラグビーをやっていたせいか、怪我をしていても痛くても続けるのが当たり前。
そのうち治るだろうと思っていたら、毎朝起きて踵を床につけるたびに激痛がはしる。
踵を床につけられない。
ネットで調べてみた。症状からすると足底腱膜炎らしい。
どうやら安静にしていない限りは治らないようなので、大会まで走るのをやめた。
そのかわり毎晩自転車でトレーニング。
心肺機能は維持しよう。
痛みもあまり感じなくなった。よしよし。
当日の大会は上諏訪のホテル街を抜けると、再び踵に激痛。
沿道の人たちは「頑張れ!」という。
頑張らなくてはならない。

今回の教訓。
片足でもハーフマラソンは2時間で走れる。
翌日からは痛みとの闘い。
3月になってやっと普通に歩けるようになった。。
自転車もいいのだが、重力に逆らう運動がいい。
筋肉に刺激が行くから、神経系統が活性化してくる。
血のめぐりも良くなって前向きになれる。
週末は春を感じながら走ってみよう。

魚眼システム

3月11日に長野県庁にて記者発表した。
経産省関東経済産業局に認定を受け、フィット、D. R Pocketと共同で魚眼レンズのリアルタイム動画の補正技術を事業化する。
新聞に掲載され、色々な場所で声をかけられる機会が増えた。

日本という国は今、八方ふさがりで迷走中である。
1000兆円という借金を抱えながらも、返済の道筋さえ考えず経済成長のことばかり言っている。
超高齢化社会を迎えるにあたって、日本は長期衰退期に入る。
お金をばら撒いたって一過性だ。
国を支える若者よりも支えられる立場の年寄りが増えていくのだから。
どう考えたって、今の社会構造では発展できない。
外国資本や外国人が入ってくると規制をかける。
世界はジャパンバッシングからジャパンパッシングへ、そしてジャパンナッシングへひた走る。

損だ得だ、儲かる儲からない、思考までデジタル化しつつある。
我々は原点に戻って、「こんなのがあったら楽しい・・・。」「これって面白い・・・。」というものを作りたい。
そういう意味では、今回取り組む魚眼システムは新しい映像文化を創出しうる画期的なものだ。

フィットの長岡社長とは3年半ほどのお付き合い。
お付き合いといっても、お付き合いいただいているというのが実際のところ。
長岡社長は難しい人だ。
一言でいうと”アーティスト”である。
本質を瞬時に見極めるから、業の強い人は見抜かれる。
迎合しない。
権力に屈しない。
非常にドライに見えるが、情の深い人である。
ダイレクトに物事を発するから、そこまで理解する人が少数なだけだ。
自分と似ているところは”大衆受けしない”ところ。
ただ、人口のわずか1%に満たない”超のつくマニアックな人には受ける”のだ。

我々レンズ業界の者はカメラマンという芸術家の道具を作っている。
しかしながら、長岡社長はその道具自体に芸術性を盛り込む。
設計するレンズの光路図は実に美しい。流れるようなライン。無駄が無い。
作る人のことを考慮した形状・機構になっている。
センスのない設計者は自分で手を汚したことが無いから、作り手の大変さを知らない。だから、とんでもない難しい形状だったり、組み立てに時間のかかる機構になっていたりする。

今さら自分が設計者になるには時間が無いので、面白いアイディアを提供できるようにしたい。
それが形になったら、それを使ってみんなで遊んで、喜びを分かち合いたい。
面白いアイディアを出し続けるためにも「こいつ・・・かなり変」と思われる人間でいよう。

ちょっと「イラッ」としたこと

下諏訪向陽高校から連絡がきた。
会社のシャッターに絵を描いていただいたのは昨年の夏。
作品の出来栄えも素晴らしかったが、何といっても高校生の純粋に取り組む姿に感銘を受けた。
暑い日もあったからアイスもおいしかった。そんなことを思い出した。
話しを聞いてみると絵を修正したいという。
特にメンテナンスをしているわけでもないが、こちらから依頼した覚えは無い。
よくよく聞いてみると投書があったという。
「虹の絵にレンズが描かれているが、虹の模様が反転していない。レンズを扱う会社としていかがなものか・・・」というものだったらしい。

”カチン”ときた。

まずは言いたいことがあるのであれば、弊社に言えばいい。依頼したのは我々で、作品にも満足している。
あとは芸術作品に対して作者に「これはちがう」と言うのはおかしいのではないかということ。

芸術というのは作者の自己表現であって、それについて他者が批評するたぐいのものではないと思う。
見る側がそのまま感じるままに受けとめればいい。
嫌なら嫌でもいいし、好きなら好きでもいい。
(少なくともこのシャッターペイントは見る人に不快感を与えるものではないと思う。)
そもそも現実を詳細に描写するのであれば写真でいいのだ。
でも、絵心のある方にレンズや光に対して「イメージしたものを絵で表現してくれ」と頼んで、それを表現してもらった。
現実と違って当然。作者の想像の世界。だから、夢がある。
鑑賞する側は描いた人の心の中に思いを巡らし、その絵を楽しむ。
それでいいではないか。

絵を描いたのは高校生。
一番危惧しているのは、こういう批判的なことを言われて、彼らが現実の世界に引き戻されてしまうこと。
「こうやった方が受けるかも・・・」とか「こういう表現にすると、色々と指摘されるかな・・・」といった鑑賞側の視点が多く入り込んで、その人の独創性や大胆さが消えてしまうのではないか。
虹は7色に見える。でも、それは人間がそれぞれの色を勝手に定義したものだ。
芸術の世界に限らず、本来は色は無限のはず。
感じたままま表現すればいい。
だから、彼らにはいつまでも自分の想像力(創造力)は無限に広がっていると思って、自由に取り組んでほしい。

技術的な話しをしよう。
通常、我々が手にするレンズは結像するレンズが多い。
太陽の光をかざせば光が集中する点が存在する。
このようなレンズを使って遠くを見ようとすると像は反転する。
投書した方はそういうレンズについて知っていただけ。
我が社ではコンバージョンレンズというものを作っている。
デジカメやビデオカメラの先端に装着するレンズ。
3枚から4枚構成なのだが、これは結像しない。焦点が無いレンズだ。
このようなレンズは像が反転しない。
コンバージョンレンズの像
コンバージョンレンズの像は反転しない

虫眼鏡の像
虫眼鏡のようなレンズの像は反転する

絵を描いていただいている時、像の反転については気になってはいた。
でも、何も言わなかった。
コンバージョンレンズをかざせば虹の模様は反転しないから。
虫メガネであれば、指摘の通り模様は反転する。
だからといって絵に注釈や説明を入れたらつまらないではないか。
光学に知識のある人であれば、「これはこういうレンズなんだな」なんて勝手に思ってくれるだろう。

芸術の世界に生きている人は感性が鋭い。敏感である。
普通の人では感じないことも感じてしまう。
それを形にすると、普通の人には理解できないものができあがる。
その人の美的感性は批判されるものではないし、理解できようができまいが、そのまま受け入れるのがいい。
そういうところが新しい製品のヒントとなったり、常識を覆す新しい文化が始まるのではないか。

TPP(Tottemo Positive Person)的に今回の件を考えると、
「ご指摘ありがとう。このシャッターの絵はそこまで人の心に届くほどの影響力があったのだ。この人には像が反転しないレンズについて教えてあげなきゃ。でも、残念だな。大人になるとそういう視点でものを見てしまうのかー。少なくとも私たちは夢や空想の世界を大事にしよーっと。」とでもなるか。

今までに何度か書いているが、これからは個人のイマジネーションが重要な時代だと思う。
個々の違う発想、アイディアが新たな製品や文化を作っていく源になる。
いつまでも現実とは違う夢の世界を大事にしたいと思った。