月別アーカイブ: 2013年7月

東京を歩くと・・

バスで東京へ。
目立った渋滞もなく予定より早く新宿へ到着。
待ち合わせまで時間があったため、浅草橋周辺を散策。
教職についていたころは時々来た。
卸問屋街で人形店が多くある。
「しもじま」という文具関連の問屋があり、よく利用していた。
東急ハンズなどは流行りものがあって楽しいが、しもじまはしもじまで楽しい。
問屋だからとにかく安い。
本屋や文房具店で買うのがばかばかしいくらい。
結局、何も買わなかった。
世界で類を見ないほどの文房具が発展している日本。
いろんなアイディアが勉強になるなー。

新宿で歩いていると、外国人が多いことに気付いた。
特に東南アジア系の人。
高齢者の車いすを押している女性がタイ語をしゃべっていた。
介護の業界も外国からのサポートが必要になる時代になってきたのか。
でも、このような方々は母国に戻って外貨を稼ぐ介護施設で働くのではなかろうか。
だって、東南アジアで老後を過ごす人が増えているし。

現状のままではどんどん衰退していく日本。
いったん潰れない限りは移民を受け入れていかないと、発展どころか維持していけない。
何とかしたいけど、何もできない。
国の将来を考えるとモヤモヤした気持ちになる。

人ごとではない事件

山口県周南市の殺人事件。
容疑者が逮捕され、これから取り調べが始まるとのこと。

人ごとではないと思った。
田舎はのんびりしていて、住民もやさしい。
こんなイメージを多くの人が持っている。
でも、自分に言わせると田舎に行けば行くほど、閉鎖的で排他的だ。
外部から来たものを受け入れない。好意的でない。
長野県に来てから、早十年。
ことあるごとにそう思う。

この容疑者のやったことは許されることではない。
でも、この人を村八分にして精神的に追い込んだ集落の人たちだって反省すべき点は無いか。
孤立してそれに耐えられなかったのなら、そこから出ていけばよかったのに。
そんな選択肢は無かったのだろうか。
実に悔やまれる事件だ。

多くの人とあまり関わりたがらない性格が幸いして、平穏な生活ができている。
仕事もプライベートも村八分ではないけれど、四面楚歌になっても平気だからよかった。
少しでも心地よい生活ができる場所に気軽に移動できたらいいのに。
同じ場所にいつまでもこだわっていると、いいことはあまりないように思う。

花火

トレーニングの帰りに車で走っていると箕輪で花火をやっていた。

学生の頃、ラグビーのオフに花火を見に行った。
教育実習で知り合った養護学校の先生に誘われたのだ。
その先生は以前盲学校で勤めていて、教え子同志のマッチメイキング(お見合い)したいとのことだった。
自分と同い年くらいの盲目の女性と駅で待ち合わせして会場までエスコート。
会場で弱視の男性の方と無事に会えた。
何を話したかよく覚えていない。

先天的に眼の見えない方々は色というものをどのようにとらえるのだろう。
花火を見るといっても、色や模様をどうやって表現したらいいのか。

言語による表現力。
物事を理解やすくする言語化する力。

とても難しいことだと思った。

その先生とは疎遠になってしまった。
マッチメイキングはうまくいったのだろうか。

花火の音を間近で聞きながら、昔のことを思い出していた。

頭の固い人たち

久しぶりの投稿。
気分が全く乗らない。
よく眠れない。

この小心者めー。

昨日、テレビを見ていたら長野県の教職員の不祥事が絶えないと言っていた。
職務上のことならまだしも、それ以外の場面でおこした問題をどうするんですか?
対策の取りようなんてないと思う。
校長が教職員一人ひとりと面談をして悩みを聞く体制にするそうだ。
意味あるの?
人事の権限を持った人にプライベートな悩みなんか打ち明けますか?
「わたしはこんな性癖をもっています。」
こんなこと打ち明けられたって困るし・・・。
「じゃあ、奥さん以外の人にはやらないでね。」
こんなことくらいしか言えません。

教職員関連の人はどうしてこんなに頭が固いのだろう。
教員だからといって人格者じゃないから。
そんな素晴らしい人間なんて存在しませんから。
自分だって頭の中はアホだし変態ですから・・・。
きっとみんなもそうだ・・・よね?
みんな!認めなさい!

福祉施設での研修をさせようなんてことも言っていた。
何で福祉施設なんですか?
弱者の気持ちを理解させようってことなのか。
一般企業の方が良くないですか?
世の中の厳しさを体感できる企業で研修するほうがいいと思う。
多くの教職員が瞬時に弱者の気持ちを味わえる。
自分自身がいかに世間を知らないかを知ることができるし。

夏の朝

桔梗の花が咲く。
日本の草花は物静かで優しい雰囲気がある。
kikyo

ブルーベリーの収穫の季節に。
最近は大粒の種類が多く出回っている。
小粒の種類は酸っぱく、大粒は酸っぱさが少なくてみずみずしい。
朝摘んではそのまま食べて出勤。
blueberry

一日一食

スポーツのトレーニングは日々新しい理論が出てくる。
「こんなやり方はダメだ」と言われていたものが「最新の研究では、いいということが分かってきた・・・」
と肯定する研究が出てきたり、
「このやり方はメダリストがやっていた」とみんなが真似したものが「これはもうナンセンス」
と否定する理論が出てきたり。
何が良くて何が悪いのか混沌とした状況と言っていい。
結局は取り組む人の運動生理学的特性や解剖学的見地から見た骨格、スキャモンの発達曲線に応じた年齢ごとの取り組み、更には本人の意志というものが大きく影響するということだ。

自分自身を探求していないと、トレーニングも健康法も効果が薄いということ。

そもそも「なぜ、それをしたいのか」。
自分自身の特性を考えた上で「何ができるのか」「どんなやり方が効果的なのか」。
自分と常に向き合わないと、答えどころか何も出てこない。
出てくるとしたら後悔や疲労だけ。

自分が最高のパフォーマンスを発揮しつつ、精神的な満足感を得られるものを探す。

長岡社長の影響か、最近食べない。
朝も昼も食べない。
夜だけ。
「食べない!」と決めてしまえば、朝も昼もお腹がすかない。
何とかなるものだ。
こんな生活は医者だって誰だって勧めないだろうが、
「一日一食が健康にいい」なんて研究が発表されるかもしれないし、それが当たり前の時代が来るかもしれない。

自分に一番適したライフスタイルを模索するのも楽しい。
人の意見や世の中の流れに
一喜一憂することなく、自分の体と心にきちんとコミュニケーションできれば、自分らしい生き方がみつけられるような気がする。

マサオ

朝と昼に草刈り。
植物の生きようとする力はすごい。
「こんな隙間に根を張るか?」
と思うようなところからも芽を出して生きている。
雑草・雑木は人間にとっては邪魔者。

人間がいなければ、どんな自然環境が広がっているだろう。
多種多様な植物や生物が自然を形成している。
存在する意味がそれぞれの生き物に与えられている。
人間だけが逸脱した存在に思えてきた。

よく考えてみると、人間ってすごく勝手な生き物だなー。

成長という名のもとに

中国の4月から6月の成長率が7.5%になったとのこと。
成長が鈍化し「そろそろまずいことになる・・・」とみんなが警戒する。
いつまで成長しようと思っているのだろう。
そもそも成長って何だ?
お金という指標ばかりで評価していないだろうか。

お金という評価基準がなくなったら、みんなは成長というものをどうやって定義するのだろう。

人口が増え、ものをたくさん作り、たくさん消費し、・・・・。
人間の欲望がとても虚しいものに思えてくる。
滅亡に向かってひた走っている。

地球はいつまで耐えられるのだろう。

福島の原発問題が終息していないのに、国内の原発を再稼働しようとする。
廃炉にするにしても40年もメンテナンスが必要だから、稼働しようと言う。
核廃棄物を捨てる場所もない。
人類の命が関わるのに、「いつかリサイクル技術ができて・・・・」と推進してしまう。
何故か今年は節電キャンペーンをしない。
幸か不幸か経済成長できずに電気が余っている。
原発なしでもやっていける。
火力発電のための石油や天然ガスが高騰して電気代が高くなると危機をあおる。
原子力発電はコストが安くつくって本当ですか?
国が支払ってきた補助金や事故に伴う補償・賠償金を考えたら、原発の方がはるかに高いし、命に直結していると思いますけど。

みんな何のために生きているのだろう。

お金のために、やめるべきこともやめられず走っていく。
第二次大戦で味わったことをみんなが繰り返す。

お金なんかなくなればいい。

本屋

箕輪のバイパス沿いに平安堂書店がオープンした。
ありがたい。
蔦屋は本の数が少なくて、いつ行っても欲しい本がないのだ。

喫茶店を併設したり、読むためのソファーが用意してあったり・・・。
日本人はマナーやモラルの問題があって、このようなやり方はなかなかうまくいかなかった。
何年か遅れてアメリカのスタイルが入って来る。
Barnes & Nobleという全米チェーン店が二十年前に導入した。
居心地いい本屋なので、人が集まる。
自分もよく利用した。
チェーン店でない街の本屋さんは客を奪われ次々に潰れてしまった。
これは一種の社会現象となり、大きな問題として映画でも取り上げられていたほどだ。

いくら電子書籍が発展していっても紙媒体は必要だと思うが、これからの本屋さんの経営は大変だ。
人口は減る。
アマゾンのように電子書籍も通常の本もネットで買えてしまう。しかも安く。
DVDやCDだってネットやホームサーバーに置き換えられていく。
何か別の付加価値を作り出さなくてはならない。
自分ならどんな本屋の形態にするだろう。
すぐに思い浮かばないなー。

教えることは学ぶこと

障害者が就労していることもあり、自治体やグループホーム、親との打合せがあった。
特段大きな問題もなく過ごせてはいるが、新たな課題も見えてきた。
その課題とは。
安定しているということ。順調であると思うこと。
本来は、より難易度の高い業務に挑戦させてなくてはいけないし、今まで取り組んだ作業もスピードと正確性が向上していなくてはいけない。
私の手を離れたことによって何か変わったのか。
本人が戦力になることはもとより、関わる社員の指導レベルを向上させることにつながったか。

言語理解力に難のある障害者への指導は、さまざまなことを考えていないとうまくいかない。
理解できるであろう言葉を選んで使う。
本当に理解できているかどうか、実際にやらせたり見守らなくてはならない。
わかっているかどうか確認しても
「はい」
と言ってしまう。
だからといってどこまで理解しているのか。
ほとんど理解できていないと考えないといけない。
表情は?目の動きは?仕草は?声の大きさや返答のタイミングは?
微妙な変化を察知して、対応する必要がある。
模倣させるにしてもいろいろと試さないといけない。
二人羽織りのようにして教えるのか。
見本を見せてやらせるのか。
相対して鏡のように見せながらやるのか。

何度も試行錯誤して教わる側の理解を確認しながら教える。
こういった一連の指導方法や段階指導を社員が身につけてほしい。
教えることは学ぶことにつながる。
健常者に教えるよりも時間がかかる。
だから、いいのだ。

自閉症の方はパターンにはまると強い。
健常者では不可能と思われるような力を発揮する。
それを知らない人が多いのが残念だ。
そこまで行くには時間も労力もかかるが、トータルで考えたらみんながハッピーになれる。
そう信じている。