月別アーカイブ: 2014年1月

金星人

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ここ2・3日の東の空がきれいだ。
三日月と明けの明星が南アルプスの上にそろって見える。
太陽の次に月、金星が明るい。

金星といえば金星人。
A.Solutionの仲間ではいつも話題にのぼる。
お金ばかりを追いかける金星人。
お金に執着する金星人。
お金が目的の金星人。
いつの間にか地球は彼らに侵略され、支配されてしまった。

自分は何人か。
金星人ではないことは確かだ。
お金は生活するうえでは大事だけど、あまり興味がない。
たいしたお金がなくても生きていく自信がある。
ジャングルに連れて行かれても、生き延びられる。
一文無しになってもやっていける。
根拠のないこの自信。
いったいどこから来るのか。
きっと自分は地球人の血を受け継いでいる。
金星人に負けてたまるか。

お金のことを話題にするくらいだから、深層心理の中では渇望があるのか。
手に入れたい欲求がこのように出てきているのか。
人間の心理というのは面白い。

尊厳死

尊厳死を法制化する動きがあるそうだ。
今回の国会で法案が提出されるという。
これはいい流れだ。
人の死というより、自分の死を考えてのこと。

わたくし、ヘルパーの免許を持っております。
障害を持った方、高齢者の方の福祉に関してはかなり明るい部類に入ります。
かつて、仕事を通じて思うところはいろいろありました。
「自分が介護を受ける立場になったら・・・・」
「自分がボケたら・・・・」

マッサージや指圧をしてもらいに行くと、会った瞬間に施術する方の顔が曇ります。
大変・・・・ですよね。
「あーぁ、今日はアンラッキー。」
その気持ち、わかります。

話しを戻そう。
介護する人のことを考えると、気が重い。
体の大きい人を介護するのは、仕事ならまだいいが家族の負担は計り知れない。
更に、心を抑圧するような職業の人は、ボケると乱暴になる場合が多い。
教師や警察官、弁護士などといった、ルールに縛られたり、いい人でいなくてはならない仕事。

今は嫌われるのが仕事のようなものだから、前に比べたら自分を抑圧することは減ったか。
自分は我慢強い性格だから、ボケた時には解き放たれてしまうのではないか。
それが怖い。
クマが暴れたら手に負えない。
みんな大けがだ。

高齢者社会になって、医療費や社会福祉費の増大が大きな問題になる。
労働人口が減るから、支えきれない。
社会構造を早急に見直す必要がある。
病気というもの自体を定義しなおさないといけない。
ちょっとした風邪でも医者にかかったり、すぐに救急車を呼んだり。
病院に行けば、待合室はお年寄りの談話室状態だ。
病院にかかる閾値を上げないといけないのだ。
「この程度では病院は受け付けません」と冷たいようだがそうしないと、社会が成り立たない。

医療技術が進歩し、生命維持装置で延命させられてしまう。
医療機関は儲かっていいかもしれないが、家族にとってはどうなんだろう。
自分は勘弁してもらいたい。

やりたいことをさっさとやって、あの世に逝く。
太く短く。
これも社会貢献、なんてね。

第4コーナーが見えてきて、思うところがたくさんある。

冬の景色

冬鳥としてはポピュラーなジョウビタキがやってきた。
羽の白い斑点が特徴。
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夕方に風がなくなった。
静寂。
東京のような機械的な音は全くない。
遠くの仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳が夕日に映える。
senjyo

思いっきりやってくれ

田中将大投手がニューヨーク・ヤンキースに移籍する。
ラジオを聞いていたら、視聴者の声は否定的な内容が多いことに驚く。
NHKが意図的にマイナス方向に誘導しているのかもしれないが。

特別な才能を持って生まれ、世の中に評価される。
こんな素晴らしいことは無い。
本人にしてみれば、より高いレベルの集団で戦いたいと考えるのは当然だ。
選手生命は短い。
選手を終えてからの人生の方が長い。
旬な時期を逃すときっと後悔する。
だから、今を大事にしてほしい。
やろうと持った時に思いっきりやってほしい。

内向き志向が多いのは残念だ。
「日本で頑張ってほしいのに」とか「レベルの高い選手がいなくなる」とか。
「高い給料だから、あっちいくのか」といった下世話な話も目立つ。
外界に活路を見出さなくても生きてこれたと勘違いしている人は島国根性が強い。
今の生活レベルを下げたくないと思ったら、衰退していく国をきちんと見つめる必要がある。
世界でそれなりのプレゼンスを維持するためには外に目を向けないと。
今を維持し、内向きでいることなんて無理なんです。

プロ野球株式会社に入った。
アメリカ本社は事業部がたくさんあり、世界の精鋭が集まる憧れの場所。
日本支店で優秀な成績を上げて、最高峰といわれるニューヨーク支店からお呼びがかかった。
本人も行きたいと言っている。
気持ちよく送り出してあげるのが筋だろう。

日本人が活躍する姿を見る機会が増えたにせよ、未だに多くのアメリカ人からは下に見られている。
「あいつらもやるじゃない」「あいつらの方がすごいかも」
野球の世界でも日本人としての存在感を示してほしいな。

愛が足りないから?

クローズアップ現代を見ていたら、離婚や別居による離れて暮らす父親のトラブルについて取あげていた。
離婚は年間23万件にのぼるそうだ。
毎年、50万人の人が離婚している。
諏訪岡谷地域の人口が20万人くらい。
形だけの家庭もあるだろうから、とんでもない数だなと思った。

みんな寂しいのだ。
「愛しているのに・・・・うまくいかない」
悩んだ末に過剰な行動に出てしまう。

愛が足りないからなのか。

わかってもらいたいという欲求。

自分自身を愛せていない部分を埋めてもらいたいということか。

 

人ごとではない

JR北海道の度重なる不祥事で多くの社員の処分が決まったという。
今回のこの問題は人ごとではないと思っている。
どこの会社でも個人でも日常茶飯事で起こりうることではないだろうか。
「バレなければいい」
「みんなもやっているからいいだろう」
「この程度なら許されるだろう」
こんな誘惑は誰の心の中にもあるはずだ。
判断基準は組織や個人でさまざまである。
会社であれば経営理念や方針が判断基準になる。
それを実行できるようにするための啓蒙活動はとても難しい。
目的をいかに共有できるか。

みんなどこを向いているの?
上司?
社長?
自分自身?
自分の心に問いかけてみて。

お客さんの喜ぶ顔をイメージしよう。
お客さんあっての我々の仕事。

JR北海道は国営から民営化したときの改革がうまくいっていないのだろう。
どこかの組織と同じような状況。
JR九州を見ていると「がんばっているな」と思う。

対照的な二人

テレビを見ていたら非常勤講師の生活苦について報道していた。
週に2コマしか授業がなく、アルバイトを2箇所掛け持ちしている。
給与待遇が悪く、何とかしてほしいというような内容。
講師としての報酬は月に8万円ほどだそうだ。
1授業あたり1万円だからそんなに悪くないと思うけど。
月に8コマ程度しか授業を持っていなければ、それは仕方がない。

その人のやりたいことと、持っている能力が合っていないと思った。
自分の持っている能力を客観的に自己評価できないと問題は解決しない。
周囲からの評価が上がらない人は、往々にして「私はやっている。私はできている。」と自己評価が甘い。
自分に対して疑問を持たない。
反省がないから、より良い方向には修正していけない。

教育というのは対人の職業だから、生徒にとっては教える能力がない人に教わるのは迷惑な話だ。
いくら教えたい、教壇に立ちたいと言っても、教えてもらいたいと思う人が増えなくては待遇だって変わらないのは当然の話し。
「教育は国家の根幹にかかわる」と言って、聖域化してはいけない。
待遇が安定すれば、業務も安定するだろうなんてとんでもない。
不安定な世の中なんだから、それを認めたうえでその不安定さを楽しむ。

社会経験を多く積んだ人たちを教育現場に送り込むのがいい。
学校生活と社会のギャップが大きいから、新卒就労しても適応できないのだ。
そんなことは誰にでもわかっていること。
教職に就いた人は、教わる側として得た感動を今度は教える側として伝えていきたいというものが多い。
でも、思いと能力は別の話だ。

昼に「グッと!地球便」を見たら若者がベトナムで料理教室ビジネスを立ち上げていた。
安定した職を捨て、海外に飛び出し自分の可能性に挑戦する。
世の中の情勢、自分の能力、自分のやってみたいことをよく見極めて行動しているように見えた。
非常勤講師の人とは対照的で面白い。

うまくいってもいかなくても、それは自己責任。
自分自身の問題です。
世の中のせいにしたところで何も変わりません。
自分が変わっていこう。

愚策

長野県教育委員会が中学校における運動部の朝練を原則禁止とする指針を示した。

中央集権的制度が国家のあり方として問題になっているのに、長野県では教育が中央集権的になっている。
いつまでこんな思考でいくつもりなのだろう。
権限を委譲し、地域の特性を生かして現場に判断させていくのがいい。

何のための部活動なのか。
なぜ、朝練をするのか。
その目的が明確であれば、さまざまな取り組み方があっていい。
それぞれの学校や部活動の中で判断し、いろんなやり方があっていいはず。

朝練を原則禁止にするなんて愚策中の愚策。
それも教育委員会が指示するなんておかしくない?

寄せられたパブリックコメントには以下のものがあったという。
「怪我や疲労が蓄積して健康に影響する」
「朝寝坊や遅刻が増えて生活が乱れる」
健康に影響を及ぼすくらいひどいのであれば、休めばいい。
朝寝坊するなら早く寝ればいい。
個人がきちんと判断できるように促すのが教育の役目なのではないか。
そもそも学校で部活動をする必要があるかどうかについても議論したほうがいい。

自分は今の日本の世の中を見た時には、地域のクラブに受け皿を作るのがいいと思っている。
自分の好きなことくらいはクラブの方針と自分の考えや能力に合致していてるところでやりたい。
学校の部活動も悪くないけど、先生が顧問をするのは時代にマッチしていない。
生徒には逃げ場がないから。
部活動で独特の制約の中で学ぶことも多いけれど、既に普段の学校生活が制約だらけ。
自由な活動を学校以外の場で持つ方がいいように思う。

なんで朝練をするのだろう。
「うまくなりたいから」だと思う。
少なくとも自分はそうだった。
うまくなりたいから、昼だろうが休み時間だろうが、家に帰ってからだって練習した。
その延長線上には達成感があり、勝利があり、自分自身に対する自信を得るというのがあるのではないか。

「みんなが参加するからやる」
「参加しないといじめられるからやる」
「先生や親に怒られるからやる」
そんなくだらない言葉が出てこないように、自立した精神を教育現場で育んで欲しいと思う。
そのためには現場に権限を渡して、教育委員会はもっと大きな目標を掲げてもらわないと。
教育委員会だって本当に必要な組織なのだろうか。
無くしたって何の支障もないでしょう。

当事者である中学生はどう思っているだろう。
こんな大人の事情ばかりで全てを決められて、疑問に思わないのだろうか。
いや、きっと見ている。
そして、「世の中ってそんなもんか」と諦めた人生をスタートさせてしまうのだ。

「なぜ?」と本質を見ないで育った人が、社会で役立つわけがない。
学習指導要領では「生きる力を育む」と言っている。
生きる力を削いでいるのは、我々大人なのだ。