月別アーカイブ: 2014年4月

ある見出しで思ったこと

週刊誌のユニクロバッシングが止まない。
先週、新聞を見ていたら「障害者へのパワハラ」なる見出しが出ていた。
何となく察しがついたが、ゴシップ誌の程度の低さには嫌気がさす。

ユニクロは積極的に障害者を雇用している。
何故か?
経営者の方針だけでなく、彼らが活躍できる場面が多いからなのだ。
法律がどうのとか、助成金がどうのとか、そんな低俗な話で雇用しているのとは違うと思う。

知っての通り、ユニクロの店舗は色やサイズなど陳列が統一されている。
買う人にとってわかりやすい。
ということは。
そこで働く人にとってもわかりやすい。
素人でもすぐに店員としてやっていける確率が高い。
よりお客さんへの直接的なサービスに力を入れられる。
店員や店長はお客さんとのコミュニケーション能力の高い人が生き残り、
品出しや陳列作業はお客さんとのコミュニケーションが難しい人がやるという構図になる。
それは別に悪いことではないでしょう。
そこで力を発揮できるのが、自閉症などの知的障害の方々だ。
彼らは人とのコミュニケーションは苦手だ。
でも、品物の陳列方法が単純なため、彼らのこだわりを最大限生かせるのだ。
ある一定のサイズの品物が減ったり、ある色の品物が減ったら補充しなくてはならない。
それをすぐにやるのは彼ら。
そういう仕事にこだわれる人がいる。
きちんと教育すれば、健常者よりも丁寧に、しかも迅速に対応できる人がいる。
そういうことを多くの人に知ってもらいたい。
そりゃ、適性のない人を雇ってしまったら大変ですよ。
だから、きちんと試用期間を設けて雇えばいいのです。
トラブルとして取り上げられているのは、うまく教育できなかったり、適性のない人を雇ったことに起因していると思う。

バックヤードに在庫が潤沢にあれば、店舗はいつでも整然となる。
こういう店舗は障害を持った人をうまく使えているということだ。
みんながハッピーになれるし、いいと思うんだけどなー。

託児所化している養護学校にはがんばってもらいたい。
おおよそ教育機関とは思えない指導が散見されます。
「障害者」にしているのは、先生、あなた方なんですよ。
「本人の意思を尊重する」だなんて、世の中で認められないことを許してどうするんですか?
「かわいそう。こんな社会がいけない」だなんて、あなたの指導力の欠如だと思いませんか?
自分の子供だったり兄弟だと思ったら、もっと一生懸命になりますよね。
「あいつらと関わりたくない」なんて絶対に思われたくないですよね。

できるのにやらない。
やれるのにやらせない。
それはいかん。
当然、やらないという選択肢だってある。
でも、その代償はどこかで払わなくてはならなくなる。
持っている能力を最大限引き出す。
辛い思いだってすることもある。
生きるって大変なことなんだから。

会社が大きくなると、相対的にトラブルだって多くなる。
社長の考えを末端の社員に理解させるのは難しい。
宗教法人でもあるまいし。
ある店舗で起きた事例を社長が説明するのだって無理がある。
全ての記事を新聞社や出版社の社長が添削しているわけではないでしょう。
それと同じようなことだ。
新聞やニュースもあらゆる視点から判断しないとダメです。
誰かが言ったからみんなそっちへ流れる。
あー、いやだいやだ。

「本当にそうなんだろうか・・・」と疑問に思うことから始めよう。

突然死に気をつけろ

レンズ設計製造展が無事に終了。
光学業界の不調が顕著に現れている。
出展社も来場者もお互いを励まし合うような状況。
LEDの普及によって照明光学系は多少なりとも脚光を浴びている程度か。

大量に作る体制を構築してしまうと、市場がシュリンクしたときに大変なことになる。
先を見て手を打っていないと突然死が起きてしまう。
とても怖い時代になってしまった。

口内炎が喉の近くにできて巨大化。
唾を飲み込むたびに激痛。
食べれば悶絶。
この潰瘍体質はどうにかならないのか。

Just….

Do it.
Just do it.
Run.
Just run.

Just keep doing it.
Just keep running.

見返りを求めようなんて考えない。
感謝されようなんて思わない。
愛されたいなんて考えない。

give and take?
Non.  Non.

give, give and……may be given.

小さなニュースだが

先週14日、新発10年物国債の取り引きが成立しなかった。
あまり大きなニュースになっていないようだ。
嵐の予兆なのか。
世間で報道されるほど、アベノミクスがうまくいっているわけではないし、将来への不安要素は逆に増えている。

成長戦略といったって、モノやカネがあふれている世の中。
借金で成り立つ経済。

いつかは払わなくてはならないその代償。
日本は落ちぶれてしまったのか。
いや、そんなことはない。

さくらをみながら

時の経つのは早いもの。
3年月日が流れました。
あの日と同じで、ちょっと肌寒い。
shinpukuji
手を合わせながら、母を思い過去を振り返る。
お寺のしだれ桜が散り始めている。
桜が咲き、そして散っていく。
生きるとは何か。
何のために生きるのか。

in the rain

久々の雨。
春を待ちわびていた草木が元気になる。
いたるところで桜が見ごろになりつつある。
自宅の桜は咲き始めるまでに、あと1週間くらいかな。
来週は展示会。
帰ってきたころには若葉も芽吹いているだろうか。

today’s music

名称未設定 1のコピー
コブシ

型通りにいかないことの方が多いから

日本人の多くは型にはまりやすい。
指導する側に回ると、型にはめたがる。
お互いに楽なのだ。
みんなそのような教育環境で育っているから、「阿吽の呼吸」というのもこんなところから発生している部分が多いような気がする。
どこに行ってもマニュアルが先行していて、個人の判断は優先されない。
みんなそれに慣れてしまっている。

アメリカンフットボールは選手一人ひとりの役割分担が明確で、型にはめやすい面白いスポーツだ。
日本人好みかもしれない。
練習もパターン化しやすい。

本場の大学やプロになると、これがまた練習が面白い。
コーチがある練習の最中でも急に笛を吹いて、全く違う練習に移行させる。
予期しないようなタイミングで笛が吹かれ、すぐに対応しなければならない。
パターン化したものはそのプレーに対しては一定の体力向上の役には立つが、実戦ではその通りにいくわけではない。
そういう意識があるのだ。
練習にも緊張感が生まれるし、いつ何時不測の事態が発生しても、すぐに行動に移す訓練になる。
練習自体が飽きないし、面白いし、短時間でも疲れる。

一方、日本はどうか。
パターン化した練習をひたすら反復し、一糸乱れぬすばらしい練習になっていく。
時間も長い。
やっている本人も、やった気になる。
それさえやっていれば練習の精度も上がっていくし、満足感を得られる。
でも・・・、練習がすばらしくてどうする!
練習に満足してどうする!
上がっているのは練習の完成度だ。
そのパターンにはまっている時だけすばらしいパフォーマンスを発揮している。
実戦で相手が強ければ、思い通りにいかないことの方が多い。
パターンが崩れた時の判断が重要なのです。
ここが我々の弱いところなのだ。

会社で例えれば、人事異動するのがいい。
レイアウトも定期的に変えるのがいい。
変化という刺激が必要だ。
いつも準備しておくのです。
少し遠くを見ておくのだ。
何か起きたら、「おお、そうきたか。」と慌てずに行動していこう。

昨日、練習のための練習と書いた。
アジア人、特に日本人の特徴として、型を重視するというのがある。
何かを想定して、その動き一つひとつに意味を持たせたりする。
「・・道」というのはその典型。

欧米から入ってきたスポーツにも、日本人はその「型」を取り込む傾向が強い。
ラグビーでもそうだ。
日本人のパスワークは世界一。
母国に行っても称賛されるほど。
相手がいない中でのコンビネーションプレーは世界で類をみないほどすばらしい。
さまざまな動作を「型」化し、その精度を上げていく。
こういったことは日本人がもっとも得意とするところ。

だが、いざ実戦形式になったり、相手がいて思いもよらない行動をとられると弱い。
日本のチームスポーツの特徴として、相手が格下だと信じられない得点差で圧倒的に勝つ。
しかし、拮抗していたり格上相手になると、こてんぱんに負けたりする。
相手がいなければすばらしい演技?型を披露できるのに。
精神的優位性を保てる時には「型」は大いに役立つのだが。
「型」というのは脆さもあるということを知っていないといけない。

これは受けてきた教育に起因しているのではないか。
製品の安定した品質で成功してきた日本。
人間までが均一化、均質化してしまっていないだろうか。
日本古来の「道」の精神ともマッチングしてしまった。

世の中はそもそも不安定。
不安定さを受け入れるには、柔軟な発想が必要だ。
環境は常に変化している。
そろそろ我々も同じことの繰り返しで精神を安定させるのではなく、先を見ながら適応していく力を身につけなくては。
そのためには引き出しがたくさん必要。
たくさん試して、失敗もして、いざという時には慌てない。

はめられた「型」からの脱却。
自らその「型」を壊してみよう。

童心にもどれる?

yukigeyuri
ユキゲユリ(雪解百合)をみつけた。
植えたのはいつのことだったか。
雪の重みに耐え、コバルトブルーの花弁を精一杯に広げる。
動植物の健気さに、つい感動を覚える毎日。

暖かくなり、グランドの練習も可能になったということで週末に岡工に行く。
自主練ということで各々が必要と思われるプレーを練習していた。
タックルダミーを倒す練習をしている子がいたので、一緒にやろうと言って交代でタックルをする。
その子はタックルダミーを倒すことが練習になっていた。
自分はいろんな状況を想定して毎回違うやり方で倒す練習をした。
ラグビーのタックルは状況によってさまざまな倒し方があるからだ。
いつか気がつくだろうと思っていたが、その子はいつまでも同じことを繰り返していた。

練習のための練習。

これが強くなれない理由。
楽しくならない理由。
そう思った。

何のための練習なのか。
どうやったら、実戦でできなかったことができるようになるのか。
気づきとは何か。
学びとは何か。
「やらなければならない」から「やろう」と思うには何が必要なのか。
強制から自主への転換には何が必要なのか。

我々には「遊び」という概念が欠如していないか。
遊びは楽しいからやる。
楽しいから夢中になる。
更に楽しくするために工夫する。
新しいルールを作ったりする。
外圧によって動かされるものとは違う。

「なぜやるの?」
自分への問いかけが常に必要だ。
「理由なんてないよ。だって楽しいからやるんだもん。」
童心にもどろう。

Z

有限会社ZETTの10周年記念式典に参列。
高橋社長をはじめ、若い人が多い。
お金もない。腕もない。何もない。
20歳で会社を興してここまで来た。
すごいことだと思う。
高橋社長が言っていた。
「仲間がいたからできた。」と。
zett

我社とは社有車のメンテナンスや建屋のリフォーム、土木関連でお付き合いしている。
取り引きに至るまでには障害もあった。
学歴がどうのとか、昔悪かったのではとか、わけのわからないことを言っては排除しようとする。
そんなことはどうでもいいことで、依頼したことを適正な金額できちんとやってくれればいいのだ。
いろんな人がいるものだ。
こういう考え方の人にはお引き取り願いたい。

自分たちを顧みる。
偉そうなことは言えないでしょう?

お客様から信頼を得るために努力する。
今の状況は我々の過去の態度を映し出している。
原点に戻って、同じ志をもった仲間たちとがんばろうじゃないか。
ZETTのみんなから学ぶところも多い。