月別アーカイブ: 2014年5月

歳を感じる。
白髪が群生しているとのご指摘をいただいた。
ひと月前にラグビーの練習をしてから膝に水がたまって治らない。

受け入れるしかない・・・。

会社の産業医の薩摩林先生に水を抜いてもらった。
ラグビーが好きな方で話しが盛り上がる。
女性のラグビーファンは熱狂的な方が多いので、気持ちもポジティブに仕向けてくださった。
ありがとうございます。
手の施しようのないくらい医者嫌いな自分。
今日は何だか行ってもいいかなという気持ちになった。

today’s music

昨日の夜は「なぜ、女性は近視眼的な人が多いのか」考えていた。
ナショナルジオグラフィックに掲載された研究と照らし合わせる。
生産活動が思考に影響を与えるというもの。
主婦の多くは掃除・洗濯などの家事、近所づきあい、子育て、介護、そして仕事とやることが山積み。
目の前のものをどんどん片付けなくてはならない。
それはほとんどの場合、共同作業ではなく単独で行われている。
先を見通したり、広い視野で物事を判断する余裕がないということが大きく影響しているように思う。
長野県は保守的な人が多いから、夫の協力が得にくいというマイナス面も多い。

こんなこと書くと「何いってんのよ。ちゃんと先を見通してやってるわよ」なんて言われそうだ。
でも、こちらの立場からすると3か月先までの生産見通しを計画するし、1年先から数年先に起こりうることを想定して人事や方針を打ち出している。
それが伝わっていないからそう思うのだ。
対処療法ばかりではいかんのです。
いつも顕微鏡子さんでいてはいかんのです。
テレセン子でもいかんのです。
いつでもとは言いません。
時々、フィッシュ愛子になりましょう。
望遠鏡子さんは目の前のことができない!

「近視眼的」自体が悪いとは思いません。
こういう人が多い傾向の職場であれば、どううまく運営していくかを考えたほうがいい。
その人の考え方を矯正するのは簡単なことではないし、そんなことにあまり時間を費やしたくない。

上に立つ人の采配が重要になるということだ。
采配を振るうためには抱えている業務を見つめ直す必要がある。
可能なものをルーティンワーク化し、いろんな人に振り分けるのです。
役職者がルーティンワークに時間を割いていてはいけません。
そして組織運営を円滑にするための時間を捻出しましょう。

校長先生

以前、工具を販売したり加工を依頼していたキヤンテクノロジへ立ち寄った。
五味社長は1年365日会社で仕事をしている人。
風貌はまさに校長先生。

人材不足を憂いていたが、それは中小企業の永遠の課題。
あとを託す人が現れない。
教えてもお金で釣られて他の会社へ行ってしまう。
自ら取り組むように促しても、言われたことしかやらない。
もちろん、世の中にはそんな人たちばかりではないはずなのだが、思ったようにいかない。

だから、自分ががんばる。
自分が全てを背負う。

大手企業の業績が伸びているという報道が大きく流れる。
中小企業がその恩恵を授かることは無い。
だって、為替が変動しただけ。
海外で稼いだだけ。
最後の祭りにならないように。

いろんな話をしながら、自分のあり方を考える。

identity

”identity” 「アイデンティティー」「自我同一性」

昨日、「独自性・・」と書いた。
独自性というよりは”identity”と言ったほうが良かったかもしれない。
自分が自分であること。
自分の国が自分の国であること。
存在意義と言い変えられる。
それは他者、他国を認識するから生まれるもの。
違いがあることを認めること。

自分は他者とは違い、自分の存在意義を主張する。
攻め込まれた経験のある国民や常に危険にさらされている人たちはこのような意識が強い。
ヨーロッパの国々がまさにそうだ。
イスラエルや台湾などは最近は顕著に存在感がある。
いつ自分たちの国が無くなってしまうかもしれないという緊張感。
それが世界で活躍する人材を生み出す原動力とも言えないか。

我々はどうだ?

以前、我社の社員だった人がこんなことを言っていた。
「派遣社員だったから、解雇されるかもしれないという危機感がいつもあった。だから、正社員よりもがんばった。仕事には自信があります。日岐の社員は意識が甘いですね・・・。」

相手を認めさせようと力むことは無い。
でも、自分の存在意義、存在価値くらいは主張してもいい。
声に出す必要だってない。
見ている人は見ているものだ。
見えてくるのだ。
だって、光るんだもん。

2年前からサングラスをかけています。
眼鏡ではありません。
視力は1.5なので。
視覚が過敏になってしまい、とても眩しいんです。
仕事のできる人は特に眩しい。

あなたが眩しすぎる!

反EU勢力の台頭で思うこと

EU加盟各国では反EUの勢力が台頭してきている。
EUはヨーロッパの多くの国が参画し、ひとつの国としてスタートしたもの。
それが揺らいでいる。
混沌とした世の中になってきた。

彼らのいいところは自分の意見をきちんと述べ、議論するところ。
武力紛争に発展することもあるが、民族や文化が違う人たちが集まったから当然のことともいえる。
考え方が違う人たちが集まっているのだから、まとめるのだって大変。
EUが誕生するのに産みの苦しみを味わったが、本当の意味ではまだ産まれていないのかも。

こういう不安定な要素が彼らを強くしている。
それぞれが小国であるというある種の緊張感が常にあるのだ。

「グローバル化」が叫ばれ、通信の発達や人が簡単に出入りできるようになって国境がなくなったように感じてしまう。
そんな世の中になってきたからこそ、独自性が改めて見直されているように思う。

国家とは何か。
自国や地域の文化とは何か。
会社とは何か。
家族とは何か。
自分とは何か。

改めて考え直す必要がありそうだ。

あの頃

夜、U-tubeで音楽を聴いていた。
懐かしい映像があった。
「Forrest Gump」
丁度アメリカで仕事をしていた頃の映画。
当時の世相を盛り込んだ面白い映画だった。

ふと、あの頃に戻る。
今よりもかなり純粋だったあの頃。
一緒にいた、共に戦った仲間達は今何をしているのだろうか。

 

使い方を間違えただけだ

他人のPCを遠隔操作した罪を認めた片山容疑者。
罪を償わなければならない。
せっかく身につけた技術を外国からのハッキングやサイバーテロに活用してくれ。
使い方を間違えただけだから、世のため人のためにご奉仕いただきたい。
国からも打診というか、取り引きしてもいいのではなかろうか。

自分らしさって

 

自分の思った通りに生きていくことは難しい。
生きていく上で、生活する社会や組織のルールの上で何とかしなくてはならない。
時によって自分を心を抑圧する。
我慢を強いられる。

自分らしさとは一体何なのかと考える。

生きているとさまざまな困難や問題に直面する。
仕事をしていれば、組織である以上はあらゆる問題には組織として対応する。
個人事業主であれば、全て自分で背負うわけだが、社員がいれば担当者に対応させることになる。
直面する困難からの逃避。
それは知らぬふりだったり、責任逃れであったり、退職であったり、・・・。
そんな場面に出くわすことがある。
残念に思う。

ラグビーでポジションはフランカーかナンバーエイトだった。
ディフェンス時にはタックルの回数が一番多いポジションである。
「自分がタックルを外されたらチームが負ける。絶対に抜かれない。」
そんな気持ちでプレーしていた。
チームもそのディフェンス力を自分に期待していたし、実際にやった。
だから、目の前の敵を倒しに行かない怠慢プレーややっているふりには納得がいかない。
そういう奴が許せない。
すみません。語弊がありました。
その人の人格が許せないのでありません。
その人のとった行動が許せないだけです・・・。
人格は否定すべきものではありませんので。
苦手意識のある選手だっている。
でも、それは誰にでも求められる基本的プレーだ。
だってそういうスポーツだから。
取り組む意識の問題が左右する要素が大きい。
やろうとする姿勢さえあれば、プロセスを修正していけば何とかなる。
やる気がなかったり、逃げるんだったら「そもそも、なんでここにいるの?」となる。

そんな考え方がベースにあるから、当然仕事の進め方にも反映される。
うまく立ち振る舞って生きていこうとする人たちからすると、面倒な男だ。
前例踏襲型で事なかれ主義的な人とは心が通じ合わない。
「なぜ、働くのか」「なんで日岐光学なのか」なんて深く考えたことがない人は厄介なことになる。

いつも思うこと。
問題に直面した時、その時は逃げることができても、いつか逃げられなくなる時が必ず来る。
そんな時は往々にして手遅れの場合が多い。
だから、いま経験してしまおう。
問題と正面から向き合ってみよう。
それは自分自身と向き合うことでもあるのだ。

自分らしさ。
それは人それぞれ。
自分らしさを発揮できる組織にいるのか。
それは困難に直面したり、何かに挑戦した時にわかってくるものだ。

面白い研究

ナショナルジオグラフィック誌に興味深い記事が載っていた。

What You Farm Affects Your Thinking, Study Says
米と小麦、作物で人の考え方にも違い

作物の生産方法が人の考え方に影響を与えるというもの。
お米づくりは水を引き、水田を作り、・・・・、インフラ整備から多くの人々の共同作業を必要とする。
一方、麦はお米ほどの共同作業は無く単独作業で成り立つ。
米作地域の人は協調性を重んじる全体主義で、麦作地域の人は欧米人に近い個人主義的な思考となるそうだ。

なるほどなと思った。
いろんな研究をする人がいるものだ。

東洋対西洋、農耕民族対狩猟民族という図式を思い浮かべる人が多いが、東洋という地域をみても多様性があるということ。

生産活動の永い歴史が人々の思考に影響を与える。

忘れかけていたころに

植栽した草花は多くの場合、翌年には咲かない。
2年目以降にようやく花をつけてくれる。
どこにでも生えてくれない草花はそれだけデリケートだ。
忘れかけていたころに、健気な姿を見せてくれる。
人間は何事も急ぎすぎている。
そんなふうに感じてしまう。

スズランはやっと土になじんでくれたようだ。
suzuran
スズラン

zumi
ズミ

today’s music