月別アーカイブ: 2014年8月

ひとり 岡谷高校構想

代々木ゼミナールの業務縮小の報道がなされているが、少子化は社会全体に大きな影を落とすことになる。
これは公的な施設や組織にも当てはめて考えなくてはならない。
公立学校だって統廃合が必要になるときがくる。

岡谷市には岡谷工業高校、岡谷東高校、岡谷南高校の3高校がある。
かつて東と南の両校は統合する案が出ていた。
しかし、卒業生らの反対で実現していない。
確かに歴史を重ねれば校風は違うだろうし、お互いにはプライドがあるかもしれない。
そのうち、そんなことを言っていられない状況になるんだけどね。

自分は岡谷の高校は3校が統合して岡谷高校となるのがいいと思っている。
進学したい人は進学コース、手に職をつけたい人は工業コースというようにコース制にしたり、単位選択制にするのだ。
通信制も平行して導入してもいいかと思う。
これだけネット環境が整備されていれば、遠隔授業も可能だ。
学校に通えない子や長期に学校を離れる状況の生徒にも対応する。

統合することによって施設・設備及び人件費の削減につながる。
多様な生徒が集まること自体が社会性を身につける上でもいい。
生徒数が増えることによって部活動だって活発になるだろう。
(基本的に部活動には反対なので地域クラブに委ねたほうがいいと思っているが)

以前は医者になるには勉強ができなければなれなかった。
高度な知識を必要とする職業なため当然と言えば当然だった。
でも、頭が良くても不器用な奴には手術してほしくないよね。
医療は変わりつつある。
ダ・ヴィンチという遠隔操作型医療ロボットが登場し、導入が進んでいる。
実際にメスを握らずに手術をする場面が増えていくに違いない。
そうしたら、ゲーム機を巧みに操る子たちの方が、将来は外科医に向いているかもしれない。
ゲーム機やスマホで勉強できるようにもなった。
知識はあるけど不器用な人、知識は無いけど器用な人が一緒に手術に臨むことがあるような気がする。
そんなことも考えると、多種多様な人間を認め、受け入れる社会が必要になってくる。
机の上の勉強の出来不出来で輪切りにして、進学させていた過去から方向転換しないといけない。
以前は害でしかないと考えられていたことも、世の中の役に立つ可能性がある。
将来の世の中を想定して選べる環境を整え、若い子たちにはやってみたいことにたくさん挑戦させる。
そのためには人生の選択を迫られる高校を再編する必要があると思う。

こんな発想だってあってもいいでしょう?

何といっても社会的コストの削減をしないと学校だって運営できない時代。
今のうちにこういうことを構想として練っておくべきだ。
岡谷という街の維持・発展を考えると、教育の場から変えていくのが一番だと思う。

 

代ゼミの縮小について

代々木ゼミナールが現在開校している20校舎を閉鎖し、講師の希望退職も募るという。
非常にいい傾向だ。
立川に代々木ゼミナールができたときに、予備校らしくない建物だなと思ったのだが、その当時から少子化を見越してマンションに転用できるように建てられていた。
経営陣はきちんと将来を見ていた。
そのような観点ではすばらしい。
皮肉なのは予備校の先生のほうが学校の先生より教えるのが上手で授業が楽しいこと。
教えるのが上手という意味では予備校の先生に学校の先生と代わってもらいたい。

自分は詰め込み型偏差値教育で育った。
とんでもない教育だ。
偏差値があたかもその人の能力や人格までも現わしているかのように輪切りにされる。
なぜ、学ぶのか。
何を学ぶのか。
そういう大事なことが置き去りにされ、「あなたはこっち、あなたはあっち」と勝手に振り分けられた。
学校では論理的思考よりも覚えることが重視され、思考停止状態の人間をたくさん作りだした。

現在は答えのない時代。
昨日の常識は今日の非常識となる。
ということは柔軟な発想、破壊して創造する力が求められている。
言われたことだけやっていればいいという時代ではないのだ。

あまのじゃく的性格が変わり者扱いされる要因だった。
でも、常にみんなと違うことをしようとすることで思考停止状態にはならなかった。
今からでも遅くない。
あまのじゃくにはなれなくても、逆側から物事を見る癖を身につけようじゃない。

unofficial ambassador

週末に米サンディエゴで日本人留学生の乗った車が電柱に衝突し8人が死傷した。
若い命がと思うと残念である。
辰野トレーニングセンターでニュースを見ていた。
オーナーが「谷君はアメリカで羽目を外したりしたの?」と聞く。
羽目をはずすどころか・・・。
「超模範的留学生でしたよ。」と思っております。
当時、英語を勉強するきっかけとなった自分の師事する東後勝明先生がこんなことを言っていた。

「留学生はunofficial ambassadorである」

直訳すると「留学生は非公式な大使である]。
どういうことかというと、日本人がアメリカで悪いことをすれば、現地の人に「日本人は悪い奴らだ・・」となる。
逆にいいことをすれば「日本人はいい人たちだ・・・」となる。
その人が母国を映し出す鏡となるということ。
本来は個人に向けられる問題が、国や国民に向いてしまうのだ。
外国人として暮らす人たちの振る舞いひとつで、その国を判断されてしまう。
それを肝に銘じていたから、勉強もスポーツも頑張りましたがな。
ラッキーなことに日本人がどこにもいなかった。
「日本人なんてヘボいだろ・・・JAPだぜ・・・」という偏見だけが存在し、とても楽だった。
マイナスイメージが先行していたから、ちょっと頑張るだけで「日本人・・・いいね~」となった。

どの国の人も言葉や文化の問題があって、外国で暮らすと母国の人たちだけでコミュニティーを形成する。
中国人街、ブラジル系居住区というようなのが典型例。
どの外国人も大きな差は無いが、日本人は現地人との交流が一番少ないというのが自分の印象だ。
日本人同士での交流ばかりで、現地に溶け込まない。
現地の人たちも「日本人は我々と違って、ちょっとねー・・・」となる。
あくまでも”They”であり”We”どころか”a part of us”のくくりには入っていかないのだ。

だから、今回の事故のニュースを聞いて、「日本人は変わっていないなー」と思った。
さまざまな国の人たちや現地のアメリカ人が含まれていないからだ。
このニュースだけで判断はできないけど。
「日本人が勝手に起こした事故」で現地では処理されてしまうに違いない。
「我々の仲間」として扱われないだろう。

日本という国が世界の規格・基準作りに参画できなかったり、発言力が増していかないのも、本質的な部分で自ら飛び込んでいくという気概が少ないからなのではないか。
じゃあ、やってやろうじゃないか。

やるじゃないか

パンパシフィック水泳で日本人が大活躍。
素直にうれしい。
日本人だってやるじゃないか。

水泳は陸上競技と同じで持って生まれた身体能力に大きく依存するスポーツだ。
体や手、肺活量が大きい選手は記録が伸びる。
アメリカやオーストラリアといった水泳大国の選手はでかい。
選手層も厚い。
一般的に小柄な日本人が活躍するのは簡単なことではない。

カンザスの高校で冬は水泳チームに入っていた。
アメリカ中西部では水泳はウィンタースポーツ。
どこの学校にも温水プールがあり、高飛び込みの台もあった。
あの当時、州大会の記録が日本記録を上回っていたと思う。
アメリカには敵わないと思った。

それがどうだろう。
水泳大国を押しのけて金メダルを取っている。
長年の強化、泳法や水着の技術向上もあってここまで来た。
外国人に対する劣等感も無くなった。
選手たちの表情を見ているとわかる。
国際経験を多く積んで、物怖じしていない。

”外国人に対する劣等感”
なにげにこれが大きかった。
勝負する前から負けた気になってしまう。
いつもリラックスした海外の大男たち。
全てを背負って悲壮感の漂う日本人。
こんな構図だった。
敗戦国だからなのか。
島国で普段からつわもの達とやり合っていないからなのか。

何事も考え方次第。
相手がどうのではなく、自分がどう考えるかなのだ。
ネガティブな感情もポジティブな感情も、全ては自分が作り出している。

いずれ、陸上競技でも100m走で日本人がメダルを取る日が来るかもしれない。
挑戦したからといって成功するとは限らない。
でも、挑戦しなければ100%できない。

業界は暗い人ばかりなの?

「谷さんはこの業界にはあまりいない人だね。」
取引先の社長に言われる。
光学業界は一部を除いて冷え込んでいる。
弊社も同じである。
そんな中、新しいことに挑戦したり、明るくふるまう人が少ないらしいのだ。
光学業界は暗い人ばかりなのだろうかと複雑な心境である。
まあ、違いがはっきりしていることを評価してもらえたと思ってプラスに受け止めよう。

ooshiba fireworks
大芝高原の花火。
夏の終わり。

他人からの命令?自分が下した命令?

これくらいはできて欲しいよね。
できて当然だよね。
そのレベルに達していないとストレスがたまる。
イライラがつのる。
依頼したことに対して、要求する基準値に満たないからだ。
期待に対する成果のアンバランス。

本人のやる気の問題?
資質の問題?
依頼の仕方が悪い?
教育の問題?
言葉が通じてない?

最終的なところでは”目的を理解していない”というのが大きい。
目的さえわかっていれば、依頼した人の立場や考えにも思いを巡らすことになる。
「やれと言われたからやる」
そういう思考から脱しない限り、お互いにストレスがたまる一方だ。
自分が自分に命令する思考回路に転換しないとダメでしょ。

オタクと仕事をしたい。
彼らの注力するエネルギーはすさまじい。
オタクよ、集まれ。

だからなに?

「わたし、せいりょうなんです。」
諏訪・岡谷地区では展示会や取引先などの訪問で、こんな自己紹介をする方がいる。
「せいりょう?清涼?声量?・・・・」
どうやら、諏訪清陵高校のことらしい。
東京から来たよそ者からすると?である。

「あいつ、清陵出てるんだ。俺なんか高校も出てないし・・・。」
などと、その人のことを崇めるように言う人もいる。
昨日もそんな話が出た。

だからなに?

そういうことに関心がないとわかると、ご本人は急にトーンが下がる。
諏訪清陵高校はこの地区では進学校として知られているようだ。
だからどうした?
どこの学校を出ようが、どこに勤めていようが、それがその人の人格を決めるものなんですか?

初対面の人と話しをして、同じ学校の出身だったり、同郷だったとわかると親近感がわいて話しが盛り上がるものだ。
だけど、”自分は賢いんですよ”なんて態度で学歴を振りかざすような人がいる。
名刺の役職を見て態度を変える人もいる。
そういう人はすぐに顔に出る。
肩書で判断する人とは話しがかみ合わない。
だって、そんなことたいした問題じゃないじゃない。

自信がない人。
何かに頼ってないといられない人。
いろんな人がいるね。

晴天

久しぶりの晴天。
洗濯日和。
どんよりと曇った後の青い空は気持ちを前向きにさせてくれる。
諏訪湖の周りを走ってみた。
体が重い。
節制しないと体がどんどん衰えていく。

天野篤先生の「熱く生きる」を読む。
天皇陛下の執刀医として一躍有名になった方。
仕事に対する真摯な姿勢。
お勧めの書である。