梅雨に舞い戻ったのか。
これが本当の梅雨なのか。
秋雨か?
お盆の長雨。
世間の主婦たちの苛立ちはピークであろう。
コインランドリーにお金を払うのがもったいないので、薪ストーブを焚く。
さすがに夏のストーブは暑い。
たまった洗濯物が乾いてよかった。
ただ、雨のおかげで木こり仕事もできず、悶々とした日々を送った。
せっかくの休みを棒に振る
家の周りは既に秋。
夜ともなれば10℃そこそこだ。
短い夏が終わる。
コスモスが咲き、来週にはソバが花をつけるだろう。
梅雨に舞い戻ったのか。
これが本当の梅雨なのか。
秋雨か?
お盆の長雨。
世間の主婦たちの苛立ちはピークであろう。
コインランドリーにお金を払うのがもったいないので、薪ストーブを焚く。
さすがに夏のストーブは暑い。
たまった洗濯物が乾いてよかった。
ただ、雨のおかげで木こり仕事もできず、悶々とした日々を送った。
せっかくの休みを棒に振る
家の周りは既に秋。
夜ともなれば10℃そこそこだ。
短い夏が終わる。
コスモスが咲き、来週にはソバが花をつけるだろう。
仕事は楽しいか。苦しいか。
楽しさを見いだす人は少ない。
楽しくはないけど、楽しくなるように仕向ける人はいるだろう。
仕事はお金を得るための労働であって、苦しみであると言う人もいるだろう。
仕事の中にも楽しさを見いだせる前向きな人が今の時代には必要だ。
今の時代と言うか、我社が欲している人物。
今やっている仕事自体が楽しいというのが一番だけどね。
楽しいと思える人は遊び心がある。
能動的な参加感がある。
「さあ、これで楽しんでください」
なんて言われたら、そういう人たちは引いてしまうだろう。
逆に楽しさは与えてもらえるものだと思っている人がいる。
楽しくないのは楽しさを提供してくれないからだと考える。
受け身。
今の日本はこのような人が実に多い。
しかも、受動的である自分に気がつかないのだ。
解法と答えを教えてもらい、ひたすら覚えることを教育されてきた結果である。
自分の意思で行動する。
そんなの当たり前なのに、人にコントロールされていたりする。
今の自分の姿は全ての局面で自分自身が選択した結果である。
それさえも気付かない。
気付いていないことに気付かない。
これが一番の問題だ。
台風11号。
日曜日の午後はすさまじい雨と風。
なかなかいい。
手ごたえのある奴が来た。
木の葉や枝があたりに散乱している。
片付けよう。
こんな仕事を与えてくれてありがとう。
広島、長崎と69回目の記念式典が行われた。
戦争を体験していない。
そんな自分が平和について語ることはできない。
平和とは何か。
戦争や紛争、争い事があるから平和というものを認識できる。
戦争が起きてしまったら、きっと最前線に送り込まれるだろう。
この歳になってしまえば、そんなことはないだろうが。
相手が撃ってきたら、撃つだろうか。
極限状態に置かれたら・・・・。
「愛する家族や仲間や故郷を守るために」という大義名分をもって戦う。
命の大切さを教えることなんてできるのだろうか。
分かっているつもりでも本当のところは分かっていないかもしれない。
自ら学び、考える。
そういう姿勢が常にないといけない。
朝4時。
枯れ枝を踏む音がする。
「泥棒か?」
そんなはずはない。
真っ暗な山の中に泥棒が来るはずがない。
「クマか?」
外をずっと見ていたが現れなかった。
逢いたい。
このもどかしい思い。
君には伝わらないのだろうか。
”挨拶”
簡単なようでできない。
いつだったか「どういうタイミングで挨拶していいかわからない・・・」という社員がいた。
タイミングなんてどうだっていいのだ。
人の心をつかむ声掛けのタイミングというのはあるだろうけど、そんなことは無理。
お客さんが会社を見たいと言う。
工場の様子を見学したいと言う。
こんなにありがたいことは無い。
「あなたに興味があります。お付き合いを前提でもっと知りたい。」
そういうメッセージを発してくれている。
であれば、「どうぞ、ご覧になってください。わたしもお付き合いできたらと思っています。」
となる。
社員の雰囲気、社内の整理整頓にみんな関心がある。
何といっても挨拶だ。
特に飲食店で印象がいいのは、元気のいい挨拶をしてくれる店だ。
お客さんが入ってくれば、気がついた店員が大きな声で「いらっしゃいませ!」と言う。
それに反応して、他の店員だって「いらっしゃいませ!」と言う。
サービス業に従事したことがない人は、こんな当たり前のことができない。
本人はできていると思っているが、できない。
お客さんが「また来店したい」と思うようなサービスを提供しないと、自分たちの売上、しいては生活に直結しているとわかっているからやるのだ。
別な視点からみれば、サービスする側が「お客さんに喜んでもらいたい」「お互いに気持ちよくその時間を過ごしたい」という欲求があるからそうするのだ。
我々はお客さんが遠い。
現場に対してダイレクトに要求が飛んでこない。
その歴史が長かった。
「どうせやるなら気持ちよく!」
まずはここからスタートだ。
理研の笹井氏が亡くなった。
ご冥福をお祈りするしかない。
日本人特有なのだろうか。
徹底的に追い詰める。
学校でいじめが問題になっているが、大人の社会でも同じ。
悪いことをしたと決まったわけではないのに。
社会的な制裁は怖い。
こういうニュースは気分が落ち込む。
すき家を展開するゼンショーが過酷な労働を強いていたとして指導を受けている。
マスコミはすき家や和民、ユニクロを批判する。
世間の人々も袋叩きをはじめる。
急成長を遂げた企業としてあんなに持ち上げていたのに。
働いていた人のネガティブな証言だけがクローズアップされている。
どこまでが事実なのだろうか。
誇張表現も多くないか?
今までとは異なる理念や経営スタイルで成長を遂げた会社がやり玉に挙げられる。
経営者としてはやるせない気持ちだろう。
崇高な理想を掲げ、巨人たちに挑み、強大な権力と戦って今があるはずだ。
創業者はそれこそ寝る間を惜しんで働いたに違いない。
経営者の気持ちがわかるだけに、世の中の風潮には違和感がある。
もちろん、倫理感をベースに持ってのことではあるが。
「決まった時間だけ働いて、お金をください」という人とはうまくいかない。
他者とは違う何かを成し遂げようなんて思ったらなおさらのことだ。
そういう人はロボットと何ら変わりがないから、機械的な労働だけを提供してくれるドライな会社に行けばいいのだ。
ただ言われたことを忠実にやっていればいい。
そして、それ相応の報酬を得る。
そのかわり、お互いにそれ以上の何かを求めてもいけないし、得ることもできない。
この類の人たちはいずれ東南アジア諸国の人件費に引っ張られ、辛酸をなめることになる。
だって、あなたにしかできない仕事ではないでしょう?
問題はこういう人たちに限って国に支援を求める傾向にあること。
どうしましょう。
そんな思考の人とはお友達にはなれても一緒に仕事はできません。
それ以前に言われたことさえもできない人がいませんか?
今やアルバイトだってその企業の考え方に賛同できなければ務まらない。
いろいろと考えると、自分の名前を看板にして働くのが一番いい。
最近、アドラー心理学が注目を集めている。
関連する書籍も多く出版されているようだ。
フロイトが原因追究、つまり過去に焦点を当てる傾向があるのに対し、アドラーは過去よりも目的論が強く、「これからどうしましょう」という未来志向である。
過去は変えられない。
日本の失われた20年。
そんな状況から脱していきたいという人間の心理からすると、アドラーの唱えた考え方は示唆を与えてくれそうだ。
生活のため、お金のために働いている諸君。
そんなつまらん生き方でいいのかい?
現実をしっかり受け止めて、そっからどうするか考える。
前向きな思考で行きましょう。
本屋に行ってアドラー心理学関連の本でも立ち読みするだ。
人から啓発されないで、自己啓発してみてはどうだろう。