日別アーカイブ: 2015年1月27日

いい加減

長野県は全国で唯一「淫行処罰条例」を制定せずに健全な青少年の育成に取り組んできたのだそうだ。
ふーん。
ただ単に「昔からそうやってきた」という保守的な考えを守っているだけではないの?
信濃毎日新聞はこの問題に対して積極的に報道してきたという。
正直言って、この新聞社は教育関係の記事の中身が非常に薄いと思っている。
一体、どんなことに取り組んできたのでしょう。

ちょっと話がそれる。
詰め込み型の偏差値教育やその後のゆとり教育、それをまた見直した現在の教育システムについて。
試行錯誤ならまだいいが、そうではない。
ただ迷走しているだけである。
だって、「将来こういう国になる」というビジョンが曖昧なのだ。
「美しい国」「普通の国」と安倍首相が言っているが、きちんと定義されていない。
何を持って美しいのか。
何を持って普通の国なのか。
理解できる人がどれくらいいるのでしょう。
欧米と同じことをするのが普通なのですか?
そんな、国の方向性が定まっていないのに、将来を担う子供たちの教育が定まるはずがない。
「以前のような教育システムに戻そう」とか、「北欧型の教育がいい」などと真似ばかり。
「自分たちで考えたら、こうなりました」というのがない。

気が付いたらトップ集団を走っていたが、先頭に立ったらどうしていいかわからない。
だから、追従する相手を探そう。
アメリカ?EU?中国?
やっぱり2番手、3番手がいい。
深いこと考えなくていいし。
「自ら先駆者となって新たな未来を構築していくのだ」という発想はない。
「例え仲間外れにされても世界の平和と発展のために独自路線を歩みます」というのもない。

今、求められるのは原点に戻って再度方向付けをすることだ。
「今までそうやってきたから・・・」という考え方や発言を耳にすると本当に萎える。
心がED状態になる。

民主主義というのは時間がかかる。
だから、独裁だろうがなんだろうが、強烈な個性を持ったリーダーの出現が必要なこともある。

世の中の流れは格段にスピードアップした。
けれども、世の中の本質は変わっていないと思う。
人間の欲には限りがない。
それを満たすために様々な手段が使われる。
手紙から電話へ。
電話からネットやメールへ。
一度により多くの人とかかわる手段が発達した。
ある人は欲を満たすためにお金を使い、ある人はそのお金を受けとってお金を使って欲を満たす。
これ自体は何も変わっていない。
本質は変わっていないのだから、建前ばかり言っていてもしょうがないということ。

「健全に育ってほしい」
それは誰だって思う。
だけど、人間は欲の塊。
最後は矛盾だらけになる。
だから、ルールを作ろうとなる。
条例や法律を整備しようとなる。

潔癖すぎる人間も嫌だけど、汚いのも嫌。
加減というのがむずかしい。
「いい加減」な人間になろう。
何もしない人、自ら動かない人はわからないはずだ。
行動を起こせば、叩かれることもあるし、支持してもらえることもある。
そういう経験をたくさん積んで学びがあるから丁度いい加減というのが分かるのだと思う。

今日も支離滅裂。