日別アーカイブ: 2015年3月4日

Mar. 4

福岡で高校時代に体育祭の騎馬戦で落下し、重度の障害を負った男性が起こした訴訟で、県に2億円の賠償を命じる判決が下された。

体育祭はできなくなる。
そう思った。
ここ十数年くらいで運動会が大きく変わったと思う。
負けた子がかわいそうということで、かけっこは手つなぎでゴール。
騎馬戦や棒倒し、組み体操など危険を伴う競技は行わない。
みんな仲良く同じことをやって、当たり障りのない行事にしよう。
保護者などから多様な要望に応えよう(クレームが来ないように)とした結果、こんな学校が増えてしまった。
ここまで来てしまうと、やめてしまうという選択肢があってもいいと思う。

自分は運動会といえば活躍できる晴れの舞台だったのでとても楽しかった。
楽器が苦手だったので音楽祭はとても嫌だった。
みんなそれぞれ活躍できる場面があったよね。
勉強がダメでも運動で。
運動がダメでも音楽で。
音楽がダメでも美術で。
そんなふうに何かしら頑張れる場所や機会があった。

嫌なことも経験しながら自分の存在意義を確認するプロセスは人格形成に大いに影響する。

今は学校を見ていると、「配慮」ばかりで生徒児童もそれが普通になっている。
「配慮してくれて当たり前」。
これは「与えてくれることが当たり前」とイコールだ。
だから、自ら考えない人が増えた。
自ら飛び込まない限りは周りが守ってくれるので、耐性が身につかない。
こんな子供たちが大人になって社会に出たらどうなるか。
そういう意識の人たちが社会を構成していくのだから気をつけないといけない。

責任の及びそうなことは避けてしまう。
それは誰でも同じこと。
公的な仕事をしている人はますます硬直していく。
こんな判決が下されてしまうと、「やらない方がまし」となっていく。

将来の世の中を形成していく子供たちの教育はとても大事である。
学校のあり方を根本から見直す時期に来ている。
「学校とはいったい何をするところなのか」
目的は何か。
それが問われている。
行かなくたっていいのではないか。
そこまで考えた上で、方向付けをしていかないと。

教育の在り方を真剣に考えよう。

判決を聞いてみんなは何を思っただろうか。