月別アーカイブ: 2015年5月

End of May

10年ぶりくらいにまじめにベンチプレスをやり直して半年。
160kgが普通に上がるようになった。
週に1回しかトレーニングをしない割にはいいペースだ。

ウェイトトレーニングはなぜやるのか。
理解に苦しむ人も多いことだろう。
自分の場合は練習の一環で取り組んでいたから、単に日常生活の一部になっているだけ。

スタートは高校生のとき。
自分の通っていたアメリカの学校では体育の授業がウェイトトレーニングだった。
日本の多くの学校とは異なり単位制だったこともあり、毎日同じ時間割。
半期に一回は授業の選択で時間割が変更となる。
タイピングや自動車免許も授業で取らしてもらった。

アメフトやレスリングなどが盛んだからトレーニングルームも充実していて、毎日ペアを組んでトレーニング。
おかげで80kgしか持ち上がらなかったベンチプレスが110kgまで上がるようになった。
アメフトのコーチからは、アメリカに残ってほしいと頼まれたほど一回り体が大きくなっていたようだ。

トレーニングの原点。
それは「昨日とは違う自分になれる」ということだと思う。
負荷をかけると筋肉の組織は破壊され、それを修復することで筋肉が太くなる。
それは誰であっても同じ。
筋肉痛というのはそういうプロセスにあるということ。
より重たいものを持ち上げられるようになるし、スピードも持久力も向上する。
見た目だけでなくパフォーマンスも向上するのだ。
「昨日とは違った自分」を体験できる喜びであると思っている。

そろそろどころか、もう肉体的には下り坂。
今年中には180kgぐらい上げられるように頑張ってみよう。
あっ、そういえば諏訪湖ハーフマラソンにエントリーしなくては。
仕事以外でもやることがたくさんあって・・・・。

May 29

超党派の議員連盟がフリースクールなどにも小中学校と同様の義務教育の場として認める法案を提出するそうだ。

改革できない教育分野においては法案が出されるだけでも画期的かもしれない。
自分なんか、そんなのとっくに当たり前になっているのが普通だと思っていて、もっと違うことを考えていた。
「学校」というもの自体を定義しなおしたほうがよいのではないか。
ネットが発達したおかげで、いつでもどこでも勉強できるようになった。
別に学校に行かなくても、先生に教わらなくても学べる手段が多様にある。
答えを覚えるような今の教育は学校に行く必要性が薄れていくはずだ。
年齢にこだわる必要もないし、個々人の発達年齢に応じて勉強したっていい。
縛る意味を見出せない。
6歳だから小学校1年生でなければならないとう概念が見直されてもよさそうな気がする。
学校は社会性を身に付ける場となって、教科書どおりの勉強を押し付ける場でないほうがいい。
当然、教員のあるべき姿は全く異なってくる。

学校に行きたくなければ行かなくたっていいのではないか。

将来、世の中に出たときには理不尽なことばかりに遭遇するのだから、ある程度の強制の場も必要だけど、週に2回くらい学校に行けばいいとか、そうなってもよさそうな気がする。
学校という場を選択せず、地域社会で子供を受け入れる場を作ったり、もっと多くの選択肢が提供されて自由な教育機会を得られる世の中になってもよいのではないか。
学年や年齢なども関係ない。
さまざまな年齢層の人と、いろんな場所で交わる。
そんな時代が来てもいい。
「不登校」なんて言葉が死語になる日も近いように思う。

やはり、「個」が重要な世の中になってくる。

May 28

東京方面へ出張。
いつものように談合坂でスターバックスへ立ち寄る。
例の店員さんと久しぶりの再会。
お互いに「おひさしぶりです・・・・」

会社としてどのような理念を持っているのか知りたくなってウェブサイトを見た。

ふーん。
社員は会社のミッションを遂行している。
そう思った。
他の店と比較しても決して安くはないコーヒー。
選ばれるための努力。
きっと努力を努力と思わないで働く人たちが集まっているに違いない。

自分には何が足りないだろうか。
わが社には何が足りないだろうか。

May 27

ラジオのニュースを聞いていた。
公立中高の英語の授業について。
全国で調査したところ、英語教員は英検準1級レベルが半数に満たないそうだ。
授業は英語のみで進められるように推奨されているが、半数の先生が実施していないとのこと。
これではいつまでたっても外国語を話せるようにならない。
以前、英語教員のTOEICの平均点が600点に達しないと聞いた。
これは、海外では英語を習うレベルで、教えるという次元ではない。

以前も書いたが、「英語勉強する」から「英語勉強する」に変わらないとダメだ。
インターネットの言語は70%が英語であり、何だかんだいっても英語が共通語である。
ネットで使用されている言語の70%が英語であれば、受信するにも発信するにも英語ができなきゃ話しにならない。
相手にされない。

学校を選択する自由はあるわけだから、英語のみで授業を行う公立学校があってもいいのではないか。
私立であれば他の言語も含めどんどんやればいい。
「日本語がきちんとできるようになってから・・・」という意見がある。
それは一理ある。
だけど、外国語で日本語という言語、日本の文化を学ぶというアプローチがあってもいいのだ。
より客観的に自分たちを見つめることができるようになる。

言語は必要に迫られないと上達しない。
最近は外国人で日本語が上手な人が増えた。
秋葉原周辺へ行ってみてください。
オタッキーはすごい!
アニメやコスプレのオタク系のみなさんは、流行りの言葉なんかは自分よりも使いこなしている。
みんなYouTubeなんかで一生懸命勉強して日本に乗り込んでくるのだ。

日本は国民全体が内向き志向で、外界との接触を好まない傾向が強まっている気がする。
外国人どころか、身近にいる人ともろくにしゃべらない人が増えていないか?

外国人の教員を増やした方がいい。
教員免許なんて、大した意味がない。
それは当の教員が一番よくわかっているはずだ。
教職課程を出てきた人は超がつくほど頭が固い。
指導案の書き方ばかり勉強している。
答えの書き方を覚えさせるのが指導だと思っている人もいる。
そんなものどうでもいいでしょう。
子供たちへ動機づけや学ぶことの楽しさといった教育の根本部分に立ちかえった方がいい。

机上の勉強はビデオで予習・復習しておいていもらって、授業ではその場でしか味わえない臨場感のあるものにした方がいい。
何かを調べるのだって、iPadやPCを使ってGoogleればいいのだ。
多くの情報から自分なりの論理を組み立て、自分なりの答えを発表する。
そういう授業を展開することが社会に出ても役に立つではないか。
既存のものを覚えさせても意味はない。
今まで授業でやってたことなんて、もう通用しない。
答えだと思っていたものは、ものすごいスピードでどんどん変化していくわけだから。
「あなたはこの問題に対してどう思うのか、どう考えるのか」
それを日本語はもちろん、英語で表現することが今の世の中で求められているのだ。

なんだか話がそれてしまった。

文科省は英語の先生に研修を受けてもらおうとか、英検を受けてもらおうとか言いだすだろう。
アホだ。
外国人の教員を雇った方が早いし、生徒にとってもいい。
そもそも英語のできる人は、その語学力を生かして世界を相手にビジネスをしている。
それができないレベルの人が教えているんだから発展性が低いじゃないか。

地域性を生かした語学の授業を展開してもいいのではないか。
北海道や新潟などはロシア語を。
福岡や佐賀などは中国語を。
島根県や鳥取県はハングル語をというように、地域の特徴を生かした語学教育や文化交流が発展してもいいじゃないかとも思う。
長野県はまずは他の都道府県の人々を受け入れましょう。
異なる考え方の人を受け入れるところから始めましょう。

May 24

岡工で久しぶりに練習。
今年は一年生が13人の入部。
勝野新監督のもと、ぜひ頑張ってほしい。
自分も陰ながらバックアップします。

どうしようもないほど走れない。
落ち込む気持ちを振り払い、挑戦しよう。
グランドでお迎えが来たら、それはそれでいい人生だったと思えるに違いない。

秘書だからわかる!仕事のできる人「4つの特徴」
ふーん。なるほど。
自分なんぞは、まだまだだなーと思ってしまった。
残念ながら、素養が備わっていなさそうだ。
でも、そういう人にはなりたいと思うからどうすればいいか考えよう。
自分が思うに、仕事ができるようになりたければ、仕事のできる人と仕事をすることだと思う。
多くの時間を共有すれば、自然と学んでいけるものではないか。
そして、多くの人と会い、視野を広げよう。
さまざまな考えに出会い、あらゆる角度から物事を見れるようになれば世界が変わる。
学ぼうという姿勢さえあれば、仕事のできる人に近づけるようになるのではないだろうか。

May 23

帰り道に「しあわせ」とは何なのだろうと考えていたら眠れなくなってしまった。

二通りの感じ方があるように思う。
比較対象があって、それに対して自分の置かれている境遇は「しあわせ」であると思う瞬間。
「両親の元で育った。」
「五体満足で生まれた。」
「発展途上国で生活するのも苦しい人たちと出会った」
などなど。
誰かと比べたときに、しあわせと感じなければ申し訳ないと思ってしまうときがある。

もうひとつは、自然と喜びを感じる瞬間。
自分の場合、鳥を見たりさえずりを聞いたり。
花を見たり、香りをかいだとき。
子供や仲間が笑ったとき。
壊れたものを直したとき。
そんな時、なんだか心が動く。
「しあわせだなー」と勝手に思う。

なぜ、そう思うのだろうとずっと考えていた。
「命」や「生」、「魂」といったものを感じたときに「しあわせ」という感覚が生まれるのではないか。

いつ死ぬかわからない。
どんなに科学が発達しようと、命には限りがある。
だから、精いっぱい生きよう。
残された人生はそう長くはないのだ。
仲間がいれば、頑張れる。
そんなことを独り思った。

 

 

May 22

全体最適化。
さまざまな解釈があるのだが。

お客様に満足していただかなければ、その会社は評価されない。
高く評価されなければ、会社は潤わない。
会社が潤わないと、個人も潤わない。
言いかえると、会社の財布が大きくならないと、個人の財布も大きくならない。

あなたにとって仕事とはなにか。
あなたにとって会社とはなにか。

おまんまのため。
お金のため。
そういう答えに行きつく方に言いたい。

「あなたの人生、つまらなさすぎる!」

でも、そういう人は少なからずいるので、一緒に仕事をしなくてはならない。
譲歩しよう。
そのかわり、「自分さえよければそれでいい」というのは勘弁してほしい。
「そんなことはありません」「自分はちゃんとやっている」と反論する人。
そうかもしれないね
でも、チームが勝たなきゃ意味なくない?
組織で戦ってるんだから。

困っている人を見かけたら、声をかけよう。
「おはよう」だけじゃなくて「今日も頑張ろうね」って笑顔で言ってみたりして、何かプラスのアクションを加えてみようよ。
上司が怒られて落ち込んでいたら「これ、手伝いましょうか?」って言ってみよう。
そんな行動をとるだけでいいのだ。

挨拶ひとつ取ったって、ただやりゃいいってもんじゃない。
音量を変えてみる。
笑顔で言ってみる。
体に触れながら言ってみる。
名前を付け加えてみる。
相手の変化をほめながら言ってみる。
プラスアルファの努力は全体へ良い影響を与える。

ちょっとしたプラスの心がけが変化をもたらし、チームを勝利に導く原動力になるものだ。
実務より気を遣う要素が大きい。
簡単なようでできない。
”やっているつもり”じゃ足りないんだよね。
組織全体がそういう雰囲気になっていなければ、まだまだということ。
「わたし一人が頑張ったところで、何も変わらない」
そんなことはありません。

自らが変われば、チームは変わる。
チームがよくなれば、それは自分に返ってくる。
自分にとって全体最適とはそういうことだ。

May 21

朝礼で今後の世の中の状況とものづくりの難しさについて話した。
自動化に対する挑戦。
人を介したモノづくりへのこだわり。
少量でしかも微調整など組み立て難易度が高い製品群にしか当てはめられない。
選択肢はそんなに多いわけではないのだ。
となると、どれだけ多くの経験を積み、高いスキルを身につけるかがカギとなる。
お客様を大事にし、会社が発展し、社員の待遇を改善し、やりがいをも見出そうとすると既存の取り組み方では絶対に通用しない。
それは明らかである。

そして、もうひとつ大きな課題を抱えている。
それは介護である。
これから高齢者社会に突入する。
社会保障費の増大に伴い、税金が上がる。
介護施設がこれから増えるかと言ったら、たくさんは増やせない。
だって、国にお金がないんだから。
補助金がなければ運営していけないのだから。
そうなると在宅介護へのシフトが始まる。
それぐらいのことは予想がつくではないか。

誰が介護するのか。

自分の両親、配偶者の両親を誰が面倒をみるのか。
誰が介護の費用を負担するのか。
ヘルパーに頼む?
そんな単純な問題ではないのだ。

製造業に従事する人はメンタル部分の自己改革・刷新が急務だ。

簡単に仕事を休めない。
高いスキルも求められる。
休めば収入が減る。
税金も上がってくる。
今後、当事者として起こりうることとして準備していなくてはならない。

自分自身が介護を受ける時代にはもっと大変な世の中になっている気がする。
年金をもらえたとしても大した額じゃない。
自分で介護してもらう代金を払えない。
じゃ、誰が払う?
そんなことを考えていると鬱になる。
だから、早めにあの世に逝ってしまおうと思うのだ。

選択肢はいくつかある。
①今のうちに稼ぐ。
②今のうちに生活のレベルを下げておく。
生活のレベルを下げるのは痛みを伴う。
じゃ、稼ぎましょ。
どうやったら儲かるのか、寝る間も惜しんで考えてすぐに実行しましょ。
そうやって考えていくと、今までのやり方を否定しないと進めないことに気づく。
さあ、はじめよう。

May 19

大阪都構想が住民投票によって否決された。
60歳代以上は反対票を多く投じたようだ。
高齢者社会となり、高齢者を優遇する政策を打ち立てた政治家や政党が躍進し、若者の意見は取り入れられにくくなる。
ますます閉塞した世の中になっていくではないか。

「これから先の生活が不安で・・・」というような意見が多いと聞く。
本当にそれでいいのだろうか。

負債額(国の借金)が1100兆円を超え、対GDP比は200%以上という世界でもダントツの借金大国。
普通なら債務不履行となり、みんな一文無しになる。
でも、そうならない。
日本の総金融資産額はご存知ですか?
1600兆円といわれている。
個人の資産が国の資産と同じにされている。
これがどういう意味を持つのか理解しなければ。

金融資産の7割近くを高齢者が保有しているという。
みんながみんな裕福ではないが、不安を抱える意味がわからない。
現行の年金制度では55歳以上の人は逃げ切り世代である。
年金が戻ってくるのだ。
われわれはどうか。
今まで支払った分は絶対に回収できない。
不安を抱えるのは高齢者ではなく55歳以下の年齢層じゃないの?

高齢者の皆さん。
天国にお金を持っていくことはできません。
使ってください。
いま。
子や孫など、次の世代のために使いましょう。
これは投資です。
私に譲っていただいても構いません。
世のため、人のために使います。
知っていますか?
お金の出し入れがされない休眠口座の運命を。
銀行の利益に計上されるんです!
あれだけ利益を出し、手数料までとって、尚且つ皆さんの休眠口座を自分たちのものにしてしまう。
そんなことになる前に使ったほうがいいでしょう。

なんだか虚しくなってきた。
戦後の復興の原動力となった方々が、奈落の底に再び日本を落としてしまうなんて。
お金に価値がなくなったとき、価値のある人間でいられるだろうか。