月別アーカイブ: 2015年12月

new year’s eve

静かに大晦日を過ごす。

本田宗一郎語録などを読み返す。
自転車にエンジンをつけてバイクを作り、自動車や二足歩行のロボットを作ったり。
今ではジェット機で空に羽ばたこうとしている。
同じ業界の他社とは一線を画したイメージの会社。

常に自分たちで考え、独自路線で挑み続ける。

挑戦していくという創業者の意志が脈々と受け継がれている。
大したもんだなと思いにふける。

「不良」について振り返る。
一日に何十台、何百台とレンズをつくる。
メーカーから不良返品として戻ってくるものがある。
社内でも最終検査で落ちるものがある。

社内では何百台のうちの1台。
でも、お客さんにとっては人生の中の1台となりうる。
買う人の気持ちになって製品を作っているだろうか。
ちょっとそのあたりが甘いのか。

超えなければならないハードルはいくつもある。
走り高跳びほどの高さではないはずだ。
少しずつ、一歩一歩、乗り越えていこう。
本田宗一郎からは「そんな悠長なこと言ってる場合か?」と怒鳴られそうだ。

Dec. 28

「労働者諸君!」
子供のころ、母親と映画館に連れられて行ったのを思い出す。
母が渥美清が好きだったのだ。

自分は労働者ではない。
労働なんて考えたこともないし、労働なんてしてこなかった。
と思っている。
たとえ自分のやりたいことでなかったとしても、「これが好きなんだ」と思うようにしているし、「これをやればやりたいことに近づける」と思っている。
労働という言葉はやりたくないことをやらされるというイメージが強い。
能動的に取り組めないのならいい仕事なんてできない。
やらない方がいい。
自分の心の持ちようなのだ。

リングの現実主義者

仕事や人生について深堀りしたい人や労働者から脱却できないかを考えている人はこの連載を読むといい。
なかなか面白い。
すんでいる世界は違っても取り組む姿勢というのは参考になるのではないだろうか。

Dec. 27

みんなが休みのときは社内のメンテだ。
業者に頼めば楽だが、自分でやる。
そもそもそういう仕事が好きなのだ。
修理大好き。

もし、ご家庭でペンキ塗りやら配管修理など、困ったことがあったらお声かけいただきたい。
自分に手の負えない次元のものは、その道のプロをご紹介します。
人からの紹介はなあなあになりがちだけど、紹介者の顔を潰すわけにはいかないのでいい仕事をしてくれるものです。

タイヤ交換を100円/本で請けるのだけど、今年は一件しか要請がなかった。
給料が上がりにくいこの時代、ガソリンスタンドで500円/本を払うのは金持ちのする行為だ。
なぜ、お金を頂戴するか。
それは「ただより高いものはない」というメッセージである。
変な見返りは求めない。
それが自分のポリシー。
いただいたお金は別の形で還元することにしている。

気晴らしに諏訪湖の周りを走った。
釜口水門ではワカサギ釣りをしている人がたくさんいた。
釣りをしていたおじさんに「釣った魚は家でフライにでもして食べるんですか?」
と聞いたら
「みんな知り合いにあげちゃうよ」
だって。
「!?」
危険である。
これは軽犯罪に値する行為ではないのか・・・。
汚染度の高い諏訪湖の魚を知り合いに食べさせるなんて。
いい人を装って毒殺を狙った極悪人ではないのか。
自分で釣った魚は自分で食べてください!!
きっと奥さんはさっさとあの世に逝ってほしいと思ってますよー。
すみません。
これは言いすぎでした。

仕事納め 鍛え納め

会社は仕事納め。
みんなのおかげで何とか乗り切ることができました。
本当にありがとう。
一人ではなしえないことをやるために仲間がいる。

今年最後の土曜日。
鍛え納めの日でもあった。
結局、ベンチプレスは160Kg。
目標を達成できなかった。
できない理由を挙げたくなる自分。
「そんなの挙げる前に重たいもん上げんかい!!」ともう一人の自分が叱咤している。
「谷君の年齢でそこまでやる人いないよ」なんて慰めてくれる山崎会長。
悔しい。

目標設定が甘かったのか。
努力が足りなかったのか。
そもそも能力が備わっていなかったのか。
きちんと整理して・・・。
仕事と同じなのである。

自分と向き合い、また再スタートを切る。

感動した~

セブンイレブンは他の競合に比べて商品の質が高いと思っている。
お弁当のクオリティーの高さには驚かされる。
以前は仕方なく食べていたし、積極的に買うことはなかった。

冷凍食品、ほか弁、コンビニ弁当は信じられないくらい美味しくなった。

とんかつが好きなのだけど、かつ丼を買って食べてみたら。
「感動したー!」(小泉元首相のような声が出た)
その辺の食堂のかつ丼より絶対おいしい。
普通の奥さまが料理するかつ丼よりおいしいに違いない。
残念ながらお袋のかつ丼よりおいしかった。

レシピや料理人の作業工程を忠実に再現すれば、ロボットでも素人でもできてしまうのだ。
保存技術も格段に向上している。

仕事に置き換えてみる。
マイスターのやっていることを細分化して工程に落とし込めば、われわれにだってできるはず。
だって、ロボットはそうやってプログラミングされているでしょ。

恐ろしい世の中になってきた。
生身の人間ができることがどんどん減る。

不測の事態や状況判断はとってかわれないから、そこが勝負するところになる。
だから、自ら考え行動できる人が必要なのだ。
気がついたらロボットに使われていた、なんてことにならないようにしよう。

Dec. 23

部活動に対する教職員の負担を軽減するために外部指導者を学校職員にするという法令が整備されるようだ。
税金で食べている方々というのは、仲間を増やす努力に余念がない。
「行政サービスを向上させる」という謳い文句を餌にどんどん税金が投入される。
おいしい仕事なんだね。

教育はどうやったら変われるの?
日本はどうやったら変われるの?

公務員が増えれば彼らの意向が強く反映されることになり、世の中は変わっていくことができなくなる。
小さな政府を目指すといった改革意識のある政治家は当選できなくなるわけで、負のスパイラルは止めることは不可能。
破綻を待つのみ。
途中で見直しをかけられないこのメンタリティーはどうにかならないのだろうか。

教職員がかかわる部活動は廃止してもいいというのが自分の考え。
成績をつける教員が部活動を指導すれば、ある一定の縛りが発生する。
自由な発想が生まれにくい空間。

世の中にはいろんな人がいていろんな考えがある。
学校では授業、それ以外は社会が受け皿となるほうがいいと思っている。
多様性を認めていく教育というのは学校外で学ぶことが多い。
わざわざ学校でやる必要性はない。

文科省や中央の人たちはとにかく統制したがる。
地方創生などと言っているが、地方に権限を渡せばいいだけの話。
税金の徴収も使い方も教育も地方に自治させればいいのだ。

自分たちで考え、自分たちで生きていく。
「財布の中にはこれしかありまへん」
「その中で必要最低限なところだけお金をかけて、あとは民間でやってください。」
これでいいじゃない。

部活だって外部にやってもらえばいい。
やりたい場所でやりたい人たちとやりたい時にやればいい。
指導者だって選ばれる立場だから切磋琢磨するはずで、だめな指導者は淘汰される。
公務員は淘汰されませんから。
実質、競争がないし。

子供達にはどんどん変化を与えて、いろんな人とかかわらせた方がいい。
選択肢はたくさんあるわけで、自分で選べばいい。
責任は自分に降りかかるのだから、失敗しても学びがある。

自ら生きる道を見いださせるにはこんな考え方があってもいいのではないかといつも思っている。

Dec. 22

危険だと思っているときは安全

不安だと思っているときは安心

不安定だと思っているときは安定

 

意識が働いているときというのはそういうものだ

 

なにか

いままで、「こんなところで、こんなものを作っていたのか・・・」という経験を何度もしてきた。
最新の機械に使われる部品だったりするだが、それはおおよそ最新の技術とは言い難い超ローテクの会社が作っていたりするのだ。
そういう場面に出くわすたびに、「自分たちは恵まれている・・・。」としみじみとした感情が湧いてくる。

空調も効かないような工場で油まみれになって作って。
新しい刃物は買えないから何度も削って修正して使って。
簡単に人を雇えないから朝から晩まで休みなく働いて。
いつ仕事がなくなるかと怯える毎日。

多くを語らないから、こちらが勝手に思いを巡らす。

一方。

空調が完備されていて。
きれいな環境で。
静かで。
「がんばれ!やればできる!」と叱咤されて辛いけど、仲間がいて。

真逆な環境で作られた部品を組み立てる自分たち。

それぞれ自分の置かれた環境で頑張ればいいのだけれど・・・。

われわれを支えていてくれる人たちの存在。
ただ与えられた仕事をしていていいのだろうかと。
こころに引っかかるなにか。

車を運転しながら、知らず知らずのうちに頬をつたうなにか。

Dec. 12

脚一本程度で人生は終わらない。
世界で唯一の股義足ランナーが走り続ける理由。

このような文章を読むと「俺ってちっぽけだな」「俺の悩みなんて小せえな」と思う。

こころの奥底に眠っている「お前はまだまだやれる」という部分に刺激を与えたい自分がいるのだ。
知らず知らずのうちに自分を励ましてくれそうな人物に会ったり、電話したり、手紙を書いたり。
人とかかわらなくても本を読んだり、ネットでこのような人生インタビューを探している。

自分で自分を励ます。
背中を押してもらう。
すべて自分のこころの持ちようだ。