月別アーカイブ: 2016年2月

Feb. 29

テレビがないので映画に興味がわくようになった。
立川の映画館は昔は掘建て小屋みたいだったなー。

アカデミー賞が発表された。
作品賞にはスポットライト。
ボストンでこんなことがあったなんて知らなかった。
4月にロードショーになるということなので観にいこう。
先日観たブリッジオブスパイはマーク・ライランスが助演男優賞を受賞。

洋画を観て英語も勉強しなおそう。

Feb. 26

CP+

CP+が開幕。

初日から混雑。
カメラやレンズの売れ行きは前年割れを起こしているにもかかわらず人出の多さに驚く。

社名は認知されていないが、小職のことは印象に残っている方がいるらしく、お声かけいただきありがとうございます。

隣のブースでは画像を編集するソフトのプレゼンを行っていた。
色調やコントラストを調整して素晴らしい画像に変身させる。

本当にそれでいいのだろうか? と独り思う。
オリジナルの写真はいったい何なのだろう。
撮影した時の心情が映し出されるものだと思っている自分からすると、編集された画像はその時の本当の心情を表しているのだろうか。
デジタルになったおかげでつまらなさも増幅しているように思うのは自分だけだろうか。
白黒の横浜の夜景。
色を付けるのは自分の心。
心の中で編集するというのが残っていてもいいように思う。

yokohama

Feb. 24

数年前からアドラー心理学が注目されていたが、いまだにブームが続いているようだ。
テレビでも取り上げられているし、本屋でも多くの関連書籍が平積みされている。

学生の時に心理学で初めて知ったのだが、改めて勉強しなおそうと思う。
フロイトの原因追求は過去に焦点を当てたもの。
アドラーは現実を受け止め、、これから何ができるかを考える。
先が予測できない世の中になったからこそ、アドラーが注目されているのだろう。
心の安定をはかろうとする裏返しと言えるのではないか。

さしあたって「嫌われる勇気」を買ってみた。
少しづつ読んでみよう。

Feb. 20

「好き嫌い」と「違い」を混同する人がいる。

高校生の時初めてアメリカに行って「世界って広い」って思った。
国土の大きさには驚嘆したけど、さまざまな人種や宗教感の異なる人たちがいて、それを受け入れる社会があった。
一人ひとり違うことが前提で、「自分はこう思う」と言える人間が尊重された。
当然対立することはあるのだけれど、「あいつとの議論は楽しかった」と後でさっぱりしているのだ。
「あいつの考え方にも一理あるよね」と許容する幅が大きかった。

日本はなかなかそうならない。
「考え方が違うから嫌い」
「同じ考え方だから好き」
となる傾向が強い。
同じ考えといったって方向性が同じなだけであって、まったく同じなはずはない。
顔や目の色、肌の色だってみんな違うんだ。
違っていて当然。
そうじゃないのかな。

価値観が異なるのは当たり前。
きちんと自分の考えを持っているのが大事。
異なる価値観の相手を攻撃することがあったとしても、最後は許容する器を持っていたいものだ。

「嫌い」という時には顔とか態度とか個人のパーソナリティーに限定してもらいたいね。

Feb. 18

議員の先生方が同一労働同一賃金について議論を始めるそうだ。

どんだけ日本は社会主義的なのだ。

みんな同じになったら本当に幸せになるのだろうか。
大いに疑問である。

機会は平等に。
みんな平等にチャンスがあることが大事で、それを生かすも生かさないのもその人次第。
それでいいじゃないか。
人によって得られる結果は違ってくるのだから、報酬に差が出るのだって当然。
努力したって報われないときもある。
それも人生。
報われることだってある。
それも人生。

何をやっても報酬は同じなんてなったら頑張れないよ。
差があるから喜びだって味わえるし、落ち込んだりもする。
お金にならなくったって、苦楽をともにできる仲間がいたら頑張れたりする。

ペレットを売っても大して儲からない。
現状は社内の不良を補填する役目を担っているといっていいだろう。
でも、配達のたびに感謝されて「今日も少しはいいことしたかな」と思えるので続けられる。

自分は格差はあっていいと思っている。
だってなくなるわけないし。
差を縮めようとするエネルギーが世の中を発展させるのだと思う。

だから、法律なんかで縛るんじゃないって思うわけなのです。

Feb. 14

批判するくらいなら元記事を読もう

全くその通りでございます。
ネット中心の生活をしていると危険である。
ものすごい量の誹謗中傷が飛び交っている。
「これ、本当にあなたの意見なの?」
「身元をさらけ出して言えるの?」
そんな状態である。

ある事件や事象に対しては、情報ソースが自分の都合のいいところに限定されていく。
自分が好意を寄せいている人の意見や考え方に引き寄せられて行ってしまう。
結局、中身にはあまり興味がないということなのではないか。

情報を自ら遮断することも必要じゃないかと思う。
家にはテレビがないので、面白そうな映画があれば観に行ってみようかなと考える。
ひところは映画館がなくなるのではないかと騒がれた時期があった。
岡谷の映画館はいつもすいている。(ちょっと経営が心配だ。)

そこに行く。待つ。いろんな人を見かける。観察する。映画を観て考える。帰りながらいろいろと考える。

いつでもどこでもiPadがあれば観れてしまう。
欲しい情報がすぐに手元に入る。
人とかかわる煩わしさを回避できる。
わざわざその場所に行かなくてもいい。
何でもかんでも指先ポンで人生の選択。

便利になったのはいいのだけれど、便利になりすぎるのは自分の生活スピードには合わない気がする。
やっぱりアナログ的な部分を多く残して生きていきたい。
体と行動が資本の自分にとって怠惰な自分は許せない。(結構面倒な野郎だな・・)

頭の中だけで済んでいたり、ちょっと独り言をしていただけなのに、みんなスマホで発信しちゃうからおかしなことになるんじゃないかな。
見えない相手と本当につながっているのだろうか。

今日の文章もなんかまとまりがないな。
どうやら甘いものが足りないらしい。

Feb. 12

何かを手に入れたら、何かを失う。

これが世の常なのだと思う。

「これは大事だ!」と思って手に入れても、それと同じくらい大事なものを失ってしまう。
獲得したものの対価を払うということだ。

それは信用だったり。
友情だったり。
時間だったり。
お金だったり。
地位だったり。

ラグビー日本代表のメンバーは家族との時間と一定期間の自由を失ったものの、歴史的な栄光を手にした。
ある政治家はお金をもらったものの、ポストと信用を失った。

言葉のマジックもある。
日本語の場合、「得た」と「失った」のどちらを文末にするか。
―ベッキーは純愛(渡辺淳一的にいえば)を手にしたけど、好感度イメージを失った。
―ベッキーは好感度を失ったけど、純愛を手にした。

「得た」ことを文末にしてポジティブに生きて行った方がいいように思う。
だって、人生後戻りできないんだもん。
生きていればみんなから批難されるされることだってしてしまうかもしれない。
でも、最期は「あれはあれでよかったんだ」と総括しながらあの世に逝くんじゃないかな。

Feb. 11

アメリカの大統領選挙。
世相を表しているのか混沌としている。
アメリカも日本化してきた。
「我々はこの目標に向かって頑張ろう」ではなく
「国はあなたを助けてあげます」という耳触りのいいことを主張する候補が躍進する。
先進国は今後日本化していくのではなかろうか。
経済が停滞し、国民は国に頼る。
国が何かしてくれることを期待する。
所属する組織が何かしてくれると思っている。
負のスパイラルにはまる。

「自分たちで何とかしよう」という自助努力がなくては強くなれない。
「してあげます。」「してもらおう。」 こんなメンタリティーでは生き延びられないぞ。

Feb. 9

ユニクロの柳井社長の「経営者になるためノート」を購入。

たくさん書き込みができるので、改めて自分の考えを整理できそうだ。
いったい何が足りないのか。
自分は一生半人前なのでいろんなことを学びたいと思う。

ユニクロの経営には批判的な方々がいるけど、それは手法のことばかり。
手段はたくさんあるのであって、正解があるわけではない。
服を通じて世の中を変えていこうという思想は素晴らしいではないか。

自分には世の中を変えられるほどの能力が備わっていない。
でも、「あー、あいつはがんばったよ。いい仕事したよ。」と言われて人生を終わりたい。