月別アーカイブ: 2017年3月

Mar. 31

出会いがあれば、別れもある。
会社では入社する人もいれば、退職する人もいる。
3月、4月というのはそういう時期である。
希望を胸に入社してくる社員は停滞した雰囲気に息吹を与えてくれる。
暗い気持ちにさせないように我々も頑張らなくてはならない。

いろんな思いがあって退職する社員を今まで多く見てきた。
わたしがこの立場になって辞めていった社員は相当数いる。
できれば辞めてほしくない人もいた。たくさん。
半分くらいは経営方針や私のキャラの問題で理解しあえなかったからではないかと思う。
4分の1くらいは社内の人間関係のもつれ。
残りは新たな世界へ飛び出そうという人たちだ。
本当に残念だったし、理解し合う過程で私の努力が足りなかった部分も否定できない。
今さら後悔しても仕方ない。
失敗は失敗として反省して人生の糧とするしかない。

今までも何度も書いてきたのだが、「人間は幸せになるために生きている。だから、その人が幸せであればいい。」とことあるごとに思う。

わが社で仕事することで社員が幸せになれたなら、それは最高。
会社の方針が合わずに辞めていった方々も、別の会社に行ったら幸せになってほしい。
たまたまわたくしめと合わなかっただけ。
相性のよさそうな人のところに行ったのはその人にとって良かったではないか。
わたくしと分かり合えないよりは。
お互いに嫌な気持ちを引きずらない方がいいし、前を向いて歩いていこう。
いや、スキップ、スキップ!

辞めていった社員がどこかでスキップしていたら、それは「よかった」と思いたい。
我々も、その社員がいなくなったことで社内の新陳代謝が起きて「よかった」と思いたい。
いま自分たちに起こっていることは、どんなことであれ将来幸せになるために起きているのだ。

Mar. 30

那須のスキー場で起きた雪崩の事故。
春を前に非常に残念な出来事である。
改めて亡くなられた方々のお冥福をお祈りいたします。

安全管理体制が問われるわけだが、心配なのは「これを最後に訓練は行わない」となることではないか。
万全を期していたとしても事故は起こる。
責任を問われ、100%の安心と安全を要求される。
ネット時代の今日では様々な誹謗中傷も飛び交う。
公的な活動というのは”事なかれ主義”の傾向があるため、廃止となるかもしれない。

人間の歴史は失敗と挑戦の連続であった。
失敗を糧に成長するという崇高な理念。
これが100%安心という感情までも満たすことが要求されるようになってしまった。
挑戦することまでもが叩かれかねない風潮がある。

何もしなければ安全、安心。
実はこれが一番危険ではないか。
危険だと思っているときが一番安全なのである。

Mar. 27

トップダウンとボトムアップが強烈にぶつかり合う玉塚流「全員経営」

ローソンの玉塚社長のインタビュー記事です。
以前も取り上げましたが、注目されている経営者です。
ラグビーをされていたので、考え方が近い気がしています。
わたくしなんぞは足元にも及ばないのですが、このような記事を読んでは「ふーん、なるほどな・・・」と自分が言葉にできなかったことを表現されていて参考になります。

バックナンバーも読んでみると非常に勉強になります。

Mar. 26

頭皮のケアに困っております。

もともと頭髪には興味が薄く(髪の毛は薄くないのですが・・・)、床屋に行っても「好きなように刈ってください」で半世紀生きてきました。
そうは言っても自分の頭皮とシャンプーには相性があるらしく、合わないシャンプーを使うとフケ・かゆみが多くなり大きなストレスとなっておりました。
どういうわけかソフトインワンはチャンリンシャンでして、わたくしの頭皮様には大好評だったのですが、最近ドラッグストアで見かけなくなってしまいました。
じゃあ、新しいシャンプーでも開拓しようかと思っているのですが、頭皮によさそうなシャンプーは高い!
スカルプケアという言葉もあるらしい。
スカルプとは頭皮のこと。
シャンプーが3000円!?
いったいどうなってしまったのでしょうか。
子供の頃は乾燥するとひび割れする洗濯用石鹸で頭を洗われたものです。
泡も立たないし、痛いだけ。
それがどうでしょう。
すばらしい時代になってしまいました。

今の悩みはシャンプーを使い続けるか、スキンヘッドにするか。
スキンヘッドが面倒くさくなくていいのですが・・・。
社会的影響が大きいような気がして。
(社会といってもわたしの身の回りだけの小さい世界のことです)

人間の頭はそもそもつるつるで、オシャレとして髪の毛の帽子があればいいのに。
みんなつるつるだから、カツラという発想も生まれない。
ただの帽子ですよ。帽子。
そうすればこんなことを考える必要もないのに。
今日もこんなくだらないことを考えておりました。

Mar. 25

今日は頑張っちゃいました。
何をって?
いやー、トイレ掃除を。

会社は電気工事の日でしたので、「今日はメンテナンスしよう」と決めておりました。
5時間くらい便器とパイプをこすり続けました。
さすがに経年劣化で限界はありましたが、きれいになりました。
社員も喜んでくれることでしょう。(すみません。今回は男性トイレのみです)
気がついてくれるかな。
いや、気がつかないかもしれない。

これを読んでいる社員は当然気がつきます。
当たり前ですけど。

このブログを読んでいる社員はそれなりにいい仕事をしていると思います。
だって、社長が普段発している言葉や行動の背景をこのブログを通して確認しているからです。
トップがどう考えているかをチェックしているのですから、言われなくても仕事に邁進できているはず。
きっと。

このブログを読んでいる社員のみなさん。
「あなたはきっと社長が好き」
えっ?ちがう?
ふーん。
そーでしたか。

嫌いだったら読まないと思うんですけど・・・。
まっ、そういうことにしておきましょうよ。
プラス思考でいきましょう。
閲覧数が急激に減るかも・・・・。

トイレ掃除をしながら母親のことを思い出しました。
小学校の高学年だったでしょうか。
団地に住んでいたんですけど、ある日、坊主頭でお世辞にも見てくれのよろしくない男の人がピンポンを鳴らしてきたんです。
トイレの便器掃除をしますって。
母は下の階の家も掃除したと聞いて、あがってもらうことにしました。
私は興味があったので掃除の一部始終を見ていました。
ゴム手袋はボロボロ。
便器に手を突っ込んで、ヘラで汚れを落としていました。
作業が終わってから、母はスパゲティーを作って食べてもらったんです。
お客様用の座布団も敷いて。
その人が帰った後、母が言いました。
「あの人はね。たぶん、刑務所から出てきた人なんだよ。」って。
今でもあのときのことが不思議と印象に残っているんです。

母はわたしがいなかったら、その人を家に上げたりしなかったのだと思います。
わたしに何かを学んでもらおうとも考えていなかったと思います。
でも、そのときには母親の人格というか優しさを垣間見た気がします。
人を性別や人種、年齢はもとより、見かけや生い立ちで差別しない。
いま、わたくしがこれを信条としているのは、かの経験が大きく作用しているように思うのです。

道徳が学校の教科として取り上げられることになったとのこと。
昨日、ラジオを聴いていたらアナウンサーが解説委員に聞いていたんです。
「これで、いじめがなくなるんでしょうか?」
もう、ひっくり返りそうになりました。

道徳なんて教科にする必要ないし。
意味ないし。
生徒を評価なんてできないし。
学校の教科とは別のところで形成されると思うんです。
道徳心て、教えようとして教えることはできないと思うんです。
お役人様の考えていることがさっぱりわかりません。

自ら感じ、学んでいく。
そういう環境を与えることしか学校にはできない。
そう思うのです。

Mar. 23

常識とは一体なにか。

多くの皆さんが承知しているとおり、わたくしはあまのじゃく的性格であります。
いつでも少数派に属してきました。
独りのときもよくありました。
でも、それは生来というより、実は意識的にそうしてきた部分が多い。

特に日本では大勢に乗っかっていることを良しとする傾向が強い。
少数派はいつでもどこでも完全アウェイ。向かい風ビュービューです。
でも、そんな自分も後ろを振り返ると風除けでわたくしを使っている人がたくさんいたりしたものです。
じゃあ、そういう人たちのためにも盾にならなくてはならない。
そんな変な義務感が生まれてしまったのです。

いつも疑問に思うんです。
「みんなと一緒でなくてはならないのだろうか」
「みんなと同じことが自分の本当の望みなのだろうか」
「みんなが常識だと言っていることは、本当に常識なのだろうか」
自分に問いかけると、どうしてもモヤモヤ感がぬぐえない。
だから、あえて大多数と反対の立場をとることによって、自分の内面の気もちや本来あるべき姿を引き出すようにしてきました。

わたくし、アメリカかぶれなんですけど。
なぜって、理由の一つとして褒められることがあげられます。
「自分の意見をもっていていい」と。
「日本人らしくなくていい」と。
彼らにとっては、善悪、正否はあまり重要ではなく「どう思うか」「どう考えるか」を大切にするんですね。
善悪も正否も大事なんですけど、一番ではない。
意見が食い違って口論になっても、後はさっぱり。
「考え方は違うけど、あいつはあいつなりの考えがある・・」って感じなんです。
相手を尊重するベースがあるといいますか。
日本みたいに「あいつとはもう口をきかない」となることはあまりない。

常識の名のもとに語られる善悪や正否というのは氷山の一角に過ぎない。
ある組織や社会には通じるもので、場所も時間も変われば通用しなくなるもの。
SNSの発達で、誰かが何かを発信すれば「あれはよくない」「間違いだ」「非常識だ」と批判の嵐が巻き起こったりする。
でもね・・・。
個人の好き嫌いの話が善悪で語られすぎている気がするのです。
見えている氷山の下には個人個人の好き嫌いが大きく存在すると思いませんか?

「正義を振りかざしていますけど、それってあなたの好き嫌いの問題でしょう?」
と言いたくなるのはしばしば。

常識、非常識というのは実に曖昧なもので、思い込みに過ぎないのではないでしょうか。
大事なことは真実の追求であって、それをどう思うかではないかと思ったりします。

ビジネス書には必ず書いてあります。
「まずは常識を疑え」って。
人間なんて言うこと成すこと矛盾だらけです。
人間は面白い動物です。

人をより深く理解することをモットーとして生きております。
では。

Mar. 21

毎日いろんなことが起こるわけですが、アドラー心理学が言っているように、すべて人間関係に起因する問題であります。

周囲の人はすべて価値観の違う人。
同じ人なんて一人として存在しません。
育った環境、経験してきたことが違うのですから。

そういう人たちと一緒の組織で仕事をする。

「価値観が違う」と言って離婚する方がたくさんいますが、価値観なんて違って当たり前なのに何言ってるの?と思います。

相手の存在、価値観を認めることからスタート。

その上で、自分の大事にしているものを理解してもらわなくてはならない。
では、「あなたが大事にしているものは?」と問われたときに、明確に答えられるだろうか。
これが曖昧であれば、相手に理解してもらうことは難しくなる。
けっこう、みんな曖昧なんだと思います。
言語化していないから、伝えられない。
言葉が足りないから、相手がいくら理解しようとしてくれても伝わらない。
そういうことではないかと思います。

我々は何で結びついているのか。
お金なのでしょうか。
目標なのでしょうか。
目的なのでしょうか。
仕事観なのでしょうか。
人生観なのでしょうか。
自分が大事にしていることを具体化できないと迷走するだけだし、仲間の理解は得られない。

だから、さまざまな人とかかわって人生の方向付けをして行くのだと思います。
いろんな意味で「学ぶ姿勢」が大事なのではないかといつも思います。

人とは何なのか、自分とは何なのか、より深く理解していくことをライフワークにしております。

Mar. 18

「スキップ」というのは不思議な力があると思っている。

人間は楽しいとスキップをする。
犬がスキップをしているのをみたことがない。
落ち込んだ人がスキップをすることはない。

今日は特殊トレーニングの一環として長距離スキップをしてみた。
1.5kmも続けていると苦痛になってくる。
一般の方であれば、数百メートルで嫌になるだろう。

歩いたり走ったりという運動は重心の移動である。
スキップは歩行と違って片足で踏み出した後に同じ足で着地し、もう片方の足に移行する。
重心の上下動が大きくなるし、踏み出した同じ足で着地するので、腓腹筋やヒラメ筋、足底の筋群の疲労が早くなる。
長時間、長距離をするのにはつらい。
マンネリ化した練習を打開するには、非常に手っ取り早いエクササイズとなりうる。
短時間で筋肉を刺激できるし、リフレッシュもできる。
中でも精神的効能が高い運動ではないかと思う。
マンネリ化したり、苦痛を伴う練習の後に取り入れる。
どういうわけか、こころにインプットされている「楽しいからスキップする」という感覚。
これを逆利用し、「スキップするから楽しくなる」に発想の変換をするのです。

「嫌なことがあったら、お酒でも飲んで忘れよう。」よりも
あえて「嫌なことがあったら、スキップをしてみよう。プラスの方向に気持ちを転換しよう」のほうがよくないか?と思うのです。
普段から運動をする人のほうが前向きです。
さあ、みんな!運動しよう!
トレーニングしているときは「売り上げがどうの。利益がどうの。社員がどうの。」なんて考えません。
考えていたら200kgもの重りを持ち上げることなんてできないですから。
「でも、運動は苦手で・・・」という方もいるでしょう。
そうです。
スキップです。
ほんの2・3秒ですんでしまう魔法の運動。
私のように2kmもやってしまうと「スキップは苦痛」と脳が判定してしまいかねないので要注意。
これは特殊トレーニングとしてやるようにします。
通勤途中や仕事の合間にただ歩くだけでなくやってみるといいですよ。ねっ?

スキップって不思議なんだよね。

 

Mar. 16

今夜は独りなのでどうしようかと思案しておりました。
当然のことながら”よからぬこと”を考えるのであります。えー。
みなさんと同じように・・・。ねっ?

基本的に小心者ですので、”よからぬこと”といっても、”特殊行動”をとるだけです。
”特殊行動”とは。
さまざまなものに分類できるのですが・・・。
特殊読書、特殊飲食、特殊音楽鑑賞、特殊トレーニング・・・etc.
超マニアックな嗜好的行動ということです。
一番手っ取り早いのが特殊飲食。

アスリートとしての生活を永く送っていたので、口の中に入れるものは気を遣ってきました。
暴飲暴食はしませんし、普段はお酒も飲まない。
食後は当然プロテインで栄養補完。
ボディービルダーほどの食事管理はしないのですが、きちんとした食生活を送っていると・・。
数カ月に一度、「ジャンクフードが食べた-い!」という欲求が高まるのです。
こういう独りぼっちになってしまう時には、津波のようにこの感情が押し寄せるといいますか。
ダムが決壊するといいますか。

今夜はジャンクの王道 マクドナルドに。
マックフライポテト定食。
ハンバーガー頼みません。
ドリンク頼みません。
ポテトだけ。
ただいま完食しました。
L4つ。
はじめはよかったのですが、4つ目はきつい。
「もういらない」
「こんなにまずかったか?」という次元になります。
もう、しばらくは見たくもないし、匂いも勘弁してほしい。

これで明日から超健全な健康食生活を欲するようになります。
精神的ではなく、体が求めます。

人間というのは面白い動物です。
我慢ばかりしているとおかしくなる。
だから、ときどき欲求のままに行動してみることが必要ではないですかね?
(人様に迷惑がかからない範囲ですけど)
潔癖症の人は、いつかは、どこかで、とんでもない歪みの代償を払うことになる。(と思います)
小出しにしたほうがいいのは間違いない。

人間の本能はどこにあるのか。
理性で制限している欲求はどんなものなのか。
こころと体のバランスはどのような構成なのか。
より深く理解するためには、こんな特殊行動で自分を分析することも必要ではないかと思うのです。

Mar. 15

卒業式シーズンでございます。

練習の歌声が聞こえてきました。
「旅立ちの日に」が流れてきて、つい涙があふれてしまうのです。

この詩をつくった先生の熱い思い。
そんなことを勝手に思いをめぐらすと、どうしても我慢ができなくなってしまうのです。
すぐに感情移入できてしまうのが得意技。

荒れた学校に赴任した定年を控えた校長先生。
「明るい歌声の響く学校へ・・・」
定年を迎える最後の卒業式に生徒たちに贈ったこの詩。
同校の音楽の先生はほんの2・30分で曲を書き上げたという。

わたくし自身は担任として4回の卒業生を送り出しました。
毎年、この曲が流れるたびに教え子たちのことを思い出します。
みんな立派な大人になったんだろうな~。

「今日はちょっと枕を濡らしてみようかな・・」と思ったらこの曲を聞くこととしよう。