
家から観た仙丈ケ岳

薪材のミズナラ
「御社はとんがった人が多くて面白いですね。」というようなことを言われました。
嬉しいですよね。
わたくし自身 Mr.あまのじゃくですので、みんなとはちょっと違う路線を進みたいですから。
ただ、問題はですね・・・。
そういったマイナー路線を志向する社長であるということに対して、喜び勇んで社員が集まったわけではないところに危うさがあるんです。
わたくし自身にもう少し人徳があれば、もっと社員が集まって飛躍的な発展を遂げるものだと思うんですけど、そうは問屋が卸してくれません。
世の中全体が流動的になっていて、終身雇用という体系も今は昔。
しかしながら、わが社の業務は長期雇用によって培われるスキルを必要とするものばかり。
時代と逆行するようなことに力を注いでいかなくてはなりません。
そういう状況ですから、会社としての考え方に求心力がなくてはなりません。
そこが問題なのでございます。
価値ある仕事をしていると思っているので、それを世の中に認めてもらう。
まだまだ時間がかかりますが、「我々だからできたのだ」と振り返られるように頑張る次第です。
設計したり新しいことにトライする人というのは理解を得られないことが多々あります。
そういう人というのは型にはめると力を発揮できない。
わたくし自身が型にはめられたくないし、型にはめられたことによってパフォーマンスを発揮できない人をたくさん見てきました。
製造で手を動かし続けている人からすると、ボーっと考え事をしている人に対して不満が出るものです。
「わたしはこんなに頑張っているのに・・・」と。
でもですね。
新しいことを生み出すというのは手を動かしていればできることではないし、定時の8時間でできるものではないということを理解してほしいですね。
これってスキルではなくセンスなんです。
このセンスというのが実に厄介なもので、見えるような指標で表現できないことばかり。
アートってことですね。
これは人間だからこそなせる業。
しかし、全員がそんなことができるわけではありません。
そういう社員がいたらですね。
「なにやってんだ、あいつは・・・。」ではなく、一歩引いて、とにかく温かく見守る。
自分にできないことをできる人がいる。
それで世の中が成り立っている。
自分の持っている能力を知り、それを最大限に発揮する。
これでいいんだと思います。
限られた時間の中でたくさんモノを組み立てられる。
これ、スゴイですよね。
遊んでいるように見えて、実はきっちりと結果を出す。
これもカッコイイじゃないですか。
お互いの持つ特徴のある能力を認め合う。
そういう雰囲気の会社になれたらいいですね。
「多様性を認める」というのはとても難しいこと。
最近は多くの人が口にするようになりました。
「ダイバーシティだ」などと横文字を使う人もたくさんいます。
でも、ホント難しいことだと思いますよ。
だって、「多様性なんて絶対に認めない!!」っていう真逆の意見だってあるわけだから、それさえも包み込む包容力が求められるじゃないですか。
「多様性を認めよう」と主張する多くの人は「多様性を認めないなんて認められない」って反論してしまうんですね。
矛盾した主張に気がつかない。
いろんな人がいて、それぞれみんな違いがある。
考え方だってそれぞれなのであります。
会社の進む方向性に賛同し、そこで自身の力を発揮できたらそれでいいではないか。
持っている能力を活かせないのであれば、それは場所が違うということ。
まずは固定観念を取り外すことから始めよう。