いじめ

いじめを苦に自殺した長崎の中学生がいじめを主題にした作文を書いていたそうだ。
読んだ。
冷静にものごとを観ている。
命を絶ってしまうなんて悔やまれる。

いじめはどこにでもある。
実はいま、いじめに遭っています。
社員の無言の抵抗・・・。
なんてね。

いじめを経験したことがない人はいないのではなかろうか。
いじめたこと、いじめられたこと、いじめに加担したこと、見たこと。
誰が悪いかって言ったらいじめる人が悪い。
自分の中で何かが気にくわないからその相手を叩いたり排除する。集団の雰囲気によってそれに加担する。
原因を求めると、いじめるようになった人に育てた親が悪い。その親を育てた親が悪い、環境が悪いというように終わりがない。
そして、いじめをする人たちを裁いて排除しようしたりして・・・・。
新たないじめが生まれたりする。
誰が悪いかってことばかりに焦点を当てても結局は解決しないだろう。

「いじめは悪い」。
でも、「悪い人がいじめをする」とはならない。
つまるところ人間の心理的本質の部分でに誰の中にもいじめの要素が潜在的に存在するからだと思う。

こういうことになると、解決しないということに落ち着いてしまう。
じゃ、どうするのかって言ったら、無くならないんだからきちんとマネジメントしましょうとしていく方が建設的なような気がする。
癌を撲滅しようとしてもできないように、うまく付き合う方法を見いだせないだろうか。