「何のために努力するのか」
どのように答えるだろう。
「君は努力する才能がある」と言われたことがある。
一度や二度ではない。
嫌な言い方をする人は「そんなことして何の得があるの?・・・」なんて。
傍から見ると面倒くさいこと、痛いこと、辛いことを率先してやっているように見えるようだ。
なぜできるのだろう。
あまり考えたことがなかった。
ただのM。
そういう言い方をされる方もいらっしゃいます。
為末さんの本を読んで、ふーんと思った。
努力を取り引きでやる人と、好きでやっている人がいると。
取引とは見返り(報酬)を求めるということ。
「努力したら報われる」
これは教育現場ではよく使われるし、当たり前のように普段の生活の中でもよく聞く言葉だ。
うまくいっている時はとてもモチベーションの上がる魔法の言葉である。
しかし、現実は厳しい。
努力してもうまくいかないことがある。
いや、うまくいかないことの方が多い。
「努力したのに報われない」と変化。
何かに責任を求めたくなる。
あいつが悪い。
世の中が悪い。
だが、「好きでやっている」という思考の人はちょっと違う。
うまくいかなくても「好きでやっているんだから」と納得感があるのだ。
サラッとしている。
誰かを好きになる。
親切にしたくなる。
その親切が見返りを求めるものなのか、ただ好きだからやるのか。
見返りを求めるのが取り引き。
取り引きをする人は何かしらの見返りを期待する。
何かしらの見返り。
それは自分に好意を抱いてくれることだったり、逆に親切にしてくれることだったり。
期待した見返りがなければ、最悪の場合は恨みへと変化したりする。
何事にも取り引きの関係を持ち込むのは重苦しい。
取り引き思考をなくせない人もいるだろうし、全く期待しないというのもあり得ない。
ただ、過度な期待は考えものだ。
期待のかけ方というのはよく考えないといけない。
「なぜ、それをするの?」
「何のために努力するの?」
振り返ってみると面白い。
「好きだからやってんの」と言える場面が多いほど気持ちが楽だ。