尊厳死

尊厳死を法制化する動きがあるそうだ。
今回の国会で法案が提出されるという。
これはいい流れだ。
人の死というより、自分の死を考えてのこと。

わたくし、ヘルパーの免許を持っております。
障害を持った方、高齢者の方の福祉に関してはかなり明るい部類に入ります。
かつて、仕事を通じて思うところはいろいろありました。
「自分が介護を受ける立場になったら・・・・」
「自分がボケたら・・・・」

マッサージや指圧をしてもらいに行くと、会った瞬間に施術する方の顔が曇ります。
大変・・・・ですよね。
「あーぁ、今日はアンラッキー。」
その気持ち、わかります。

話しを戻そう。
介護する人のことを考えると、気が重い。
体の大きい人を介護するのは、仕事ならまだいいが家族の負担は計り知れない。
更に、心を抑圧するような職業の人は、ボケると乱暴になる場合が多い。
教師や警察官、弁護士などといった、ルールに縛られたり、いい人でいなくてはならない仕事。

今は嫌われるのが仕事のようなものだから、前に比べたら自分を抑圧することは減ったか。
自分は我慢強い性格だから、ボケた時には解き放たれてしまうのではないか。
それが怖い。
クマが暴れたら手に負えない。
みんな大けがだ。

高齢者社会になって、医療費や社会福祉費の増大が大きな問題になる。
労働人口が減るから、支えきれない。
社会構造を早急に見直す必要がある。
病気というもの自体を定義しなおさないといけない。
ちょっとした風邪でも医者にかかったり、すぐに救急車を呼んだり。
病院に行けば、待合室はお年寄りの談話室状態だ。
病院にかかる閾値を上げないといけないのだ。
「この程度では病院は受け付けません」と冷たいようだがそうしないと、社会が成り立たない。

医療技術が進歩し、生命維持装置で延命させられてしまう。
医療機関は儲かっていいかもしれないが、家族にとってはどうなんだろう。
自分は勘弁してもらいたい。

やりたいことをさっさとやって、あの世に逝く。
太く短く。
これも社会貢献、なんてね。

第4コーナーが見えてきて、思うところがたくさんある。