愚策

長野県教育委員会が中学校における運動部の朝練を原則禁止とする指針を示した。

中央集権的制度が国家のあり方として問題になっているのに、長野県では教育が中央集権的になっている。
いつまでこんな思考でいくつもりなのだろう。
権限を委譲し、地域の特性を生かして現場に判断させていくのがいい。

何のための部活動なのか。
なぜ、朝練をするのか。
その目的が明確であれば、さまざまな取り組み方があっていい。
それぞれの学校や部活動の中で判断し、いろんなやり方があっていいはず。

朝練を原則禁止にするなんて愚策中の愚策。
それも教育委員会が指示するなんておかしくない?

寄せられたパブリックコメントには以下のものがあったという。
「怪我や疲労が蓄積して健康に影響する」
「朝寝坊や遅刻が増えて生活が乱れる」
健康に影響を及ぼすくらいひどいのであれば、休めばいい。
朝寝坊するなら早く寝ればいい。
個人がきちんと判断できるように促すのが教育の役目なのではないか。
そもそも学校で部活動をする必要があるかどうかについても議論したほうがいい。

自分は今の日本の世の中を見た時には、地域のクラブに受け皿を作るのがいいと思っている。
自分の好きなことくらいはクラブの方針と自分の考えや能力に合致していてるところでやりたい。
学校の部活動も悪くないけど、先生が顧問をするのは時代にマッチしていない。
生徒には逃げ場がないから。
部活動で独特の制約の中で学ぶことも多いけれど、既に普段の学校生活が制約だらけ。
自由な活動を学校以外の場で持つ方がいいように思う。

なんで朝練をするのだろう。
「うまくなりたいから」だと思う。
少なくとも自分はそうだった。
うまくなりたいから、昼だろうが休み時間だろうが、家に帰ってからだって練習した。
その延長線上には達成感があり、勝利があり、自分自身に対する自信を得るというのがあるのではないか。

「みんなが参加するからやる」
「参加しないといじめられるからやる」
「先生や親に怒られるからやる」
そんなくだらない言葉が出てこないように、自立した精神を教育現場で育んで欲しいと思う。
そのためには現場に権限を渡して、教育委員会はもっと大きな目標を掲げてもらわないと。
教育委員会だって本当に必要な組織なのだろうか。
無くしたって何の支障もないでしょう。

当事者である中学生はどう思っているだろう。
こんな大人の事情ばかりで全てを決められて、疑問に思わないのだろうか。
いや、きっと見ている。
そして、「世の中ってそんなもんか」と諦めた人生をスタートさせてしまうのだ。

「なぜ?」と本質を見ないで育った人が、社会で役立つわけがない。
学習指導要領では「生きる力を育む」と言っている。
生きる力を削いでいるのは、我々大人なのだ。