教育って?

ここ数年、新聞には教育に関する記事が多い。
「いじめ」「体罰」「不登校」などが社会問題化していることが要因なのだろう。
記事を読むと必ず「長野県は教育県として・・・・」という文面が出てくる。
取引先の人と世間話をしていても、「長野は教育県ですもんね・・・・」と言われたことは一度や二度ではない。
何をもって教育県なのだろう。
正直、よくわからない。
田中知事の時代には様々なことを試みようとしていたのは知っている。
でも、それ以外は何ら特徴のある教育に力を入れているようにも見えない。
昔そうだったとしても、その割にはその教育を受けてきた人たちが今は教育する立場にいるのだと思うと、「大したことなかったんじゃない?」と思ってしまう。
東京に比べてもかなり遅れている印象を受ける。
遅れているというのは新しい手法や試みが実施されていないという意味で。
きっと土地柄が影響しているのだろう。
海が無い。山に囲まれている。外国に行ける空港が無い。
外からの影響を受けにくい。
内向き、閉鎖的になりやすい環境が整っている。
これからの日本は何もしなければ衰退していくだけ。
そういう意味ではどのような家庭教育・学校教育を受けてきたかはとても重要。

我社(わたし)は教育に力を入れていない。
教育しようと思っていない。
学校教育に携わっていたものとして、とんでもない輩である。
「目的があれば、自分で学ぶ」
所謂、「Self Learning」という考え。
自ら「これを習いたい。もっと知りたい。もっとできるようになりたい。」
そう願っている人に対しては最大限の支援をしたいと思う。
面白い行動(常識と思われている反対の行動)をしたら「いいね、いいね」と賛辞を送りたい。
指示を待っている人は必要ない。
「言ってくれたらやります」という人も相手にしたくない。
仕事では目的を共有できないから、わたしの視界には入ってきません。
企業は目的がはっきりしてる。
学校ではないのだから、動機づけに時間や労力を費やすことには疑問を感じる。
やる気があるのがスタート地点。
このような文章を読んでも、話しをしても自分のことだと受け留めない人がいる。
結構いる。
自分ではなく、他の誰かなのである。
「あなたのことです」と言ってあげたいが、あえて言わない。
自分で気付かない時点で終わってます。
「自分のことを言われているのかもしれない」と、まずは自分を疑うことです。

たった一度の人生。
やりたいことをやって終わりたい。
やりたいことを見つけるためには、何でもいいから行動を起こすのです。
一生懸命取り組んでみるのです。
当然、理不尽な目にもあう。
そういう経験をして初めて、何をやりたいのかがわかってくる。
頑張った過去が自分自身を後押ししてくれる。
そして、それが新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。

「自分でやってみよう、勉強してみよう、失敗したっていいさ」
そういう生き方を支えてくれた親や恩師に感謝したい。