部活動と体罰

文科省の有識者会議で部活動における許されない体罰などのガイドラインが提出された。
有識者とはいったい何なのか。
どういう人を有識者というのだろう。
その人選によっても指針は大きくブレるのではなかろうか。
国民全体の議論に発展させた方が良くないか。

何をもって指導で、何をもって体罰なのか。
線引きなんてできるのだろうか。
急に価値観が多様化してきた現在の日本では、答えを出すのに相当な時間がかかるはず。
産みの苦しみを味わわなくてはならないだろう。

幸いなことに自分は体罰を受けたことがない。(と思っている。)
「と思っている」と書いたのは、同じ待遇でも受け止め方が人それぞれだからだ。
殴られた経験はない。
でも、かなり過酷な練習は体験してきた。
私のようにリミッターの配線が切れている人の意見は参考にならないかもしれない。
「自分の限界っていったいどこなのだろう。こんなところじゃない。」
「精神的限界は肉体的限界の60%程度だ。自分に負けている」
と、自ら望んで苦しい方を選択してきた。
指導者も止めに入るほどだったし、体罰をする気にもならなかっただろう。
自らやるか、やらされているかでも受け止め方が全く違う。

学生のころのこと。
陸上部やバレーボール部など強豪と言われる部活動はすごかった。
夜9時に整列、点呼。
1秒でも遅れると先輩たちに殴られる。
連帯責任とかで全員が殴られている。
「あー、いやだ、いやだ・・・・」
「こいつらバカじゃないか」と思った。(遅れてくるやつではなくて、殴るやつのこと)
そして殴られたやつは先輩になると同じことを後輩にする。
くだらない不条理文化の連鎖。
組織のルールを守ることは大事だ。
でも、そのルールを守ることが目的になってはいけない。
「早く寝よう。
しっかり休息をとって、そしてベストのパフォーマンスを試合で発揮してくれ。
そのための自己管理をよろしく。」
それで充分だ。
自己管理を怠って、結果を出せなければ去っていけばいいのだ。

部活動における体罰の根源は何か。
先生が指導するからだと思う。
部活動が強くなると学校の名前が売れる。
顧問の先生の権限は増す。
生徒も保護者も崇め奉る。
指導というな名の下に暴力があったとしても、神のやったことは正当化される。
何をやっても許される構図ができあがる。
そんな顧問を校長が指導できるはずがない。
「いまこの学校があるのは誰のおかげなんだ?」という態度でこられたら何もできないでしょう。
生徒がその部活動を辞めたとしても、毎日学校でその先生と顔を合わせ、授業を受けなくてはならなかったらどうなるか。
学校でさえ居ずらくなるではないか。
考えただけでも鬱になる。
無論、すばらしい先生、指導者がいることは否定しないけど。

学校の勉強が終わったら、地域のクラブで活動するほうがいい。
選択の幅を広げてあげることのほうが大事だ。
やるもやらないも本人次第。
学校という場所では逃げ場がない。
社会に出たら、いつかは逃げられなくなるときが来るから、それは自主的な活動の場で実体験すればいい。
学校で強制に近いことをして体験させる必要はないと思う。

「今までこのやり方でやってきた」
「このやり方を改善すれば・・・」
といって、前例を踏襲することしか頭にない。

時間も労力も半端なくかかるけど、ゼロベースで考え、実行する必要があると思う。