Aug. 3

高校野球の女子マネージャーが公式練習の際にグランドでノックの補助をしていて制止させられたとのこと。
甲子園では女子が練習の補助をしてはいけないとのこと。
高野連の規則にそのようなものがあるそうです。
様々な意見が飛び交っております。

人それぞれ考え方、物事の捉え方が違う。
時代によっても大勢派の考えは変わるもの。

組織に属していればさまざまな問題が起こります。
まったく異なった環境で育った人が舞い込んでくると、既存のルールやしきたりというものに問題提起がなされます。
「えっ、こんなやり方しているの?」
「こういうやり方の方がよくない?」
「これはおかしくないか?」
「これは最先端な考え方だね」
など、まずは組織は混乱するものです。
だって異物が入ってきたのだから。

わたくし自身はこのような状況の時に「受け入れる器がどれほどなのか」というところに考えが向かいます。
排除するのか、受け入れるのか、化学反応を起こして新しいものを作っていくのか。
排除するのは簡単なのですが、本当にそれでいいのかといつも悩みます。

家族で海に行きたいという意見もあれば、山に行きたいという意見もあったとする。
さあ、どうするのでしょう?
なるべくみんなが納得する方法を選びますよね。
「海も山もある場所に行こう」
かもしれないし、
「今年は海だ。来年は山にしよう。」
となるかもしれません。
「喧嘩になるからどこにも行かない」
という選択をするかもしれない。

目的は何なのか?
立ち止まって考えてみる。
海に行くことが目的なのでしょうか。
山に行くことが目的なのでしょうか。
違いますよね。
みんなで楽しく過ごすことです。
そう考えれば、海に行くことも山に行くことも結局は目的を達成するための手段になります。
だから、目的を再確認さえすればお互いの気持ちの妥協点を見出すことはできるのではないでしょうか。

野球が好きだから野球部に入った。
たまたま女子だった。
試合には出れないけれど、仲間たちと苦楽を共にして勝利に向かって頑張りたい。
マネージャーとしてみんなの役に立ちたい。
そのような気持ちを大事にしてあげたく思ってしまうのです。
世の中は男女の垣根が低くなってきた。
何十年も前に作られたルールをいつまでも適用していていいのだろうか。
考え、議論する機会があってもいいのではないだろうか。
「野球をやったことのない人が口出しをするな」
「ルールなのだからルールに従えばいい」というような排他的な意見が結構あるようです。

「移民には入ってきてほしくない」
「マイノリティーとは仲良くできない」
このようなもっと大きな問題にもつながっているように思えてしまいます。

問題が提起された。
受け入れる器はどれくらいの大きさなのか。
高野連、プロ野球、スポーツ全体、日本という国。

まずは自分に問いかけてみようと思うのであります。