Aug. 31

職場における障害者の虐待や低賃金が問題となっているそうだ。
問題となっている事例の実態はわからない。
安易に擁護したり批判するのはよそう。

我が社にも2名が就労している。
自分の考えは「彼らはできる。納税者にする。」である。
ただし・・・・、彼らの特性と仕事とがマッチングしない限りうまくいかない。
うまくいくようにするためには大きな労力を要する。
労力というのは時間でありお金である。
一般論として、よっぽど富を生み出して余裕のある会社でない限りは難しい。
CSR(企業の社会的責任)としての取り組みであったり、法律順守のために雇用する場合が主であろう。
自分のような教職から転職して彼らを雇用しようという考えの人はあまり例がない。

現在のような情勢で社会の一員として参画させるとなると税金を投入せざるを得ない。
それは事業所に対する補助金だったり、本人への障害者年金だったり、さまざまな優遇措置となる。
税金が使われるわけだから、本人や家族は引け目に感じることもあるだろう。
だから、自分は彼らが納税者となって社会的コストを自前で補い、権利も堂々と主張してほしいと思っているのだ。

知的障害で言葉の理解が少ない社員であれば、健常者以上にわかりやすい言葉で指導することになる。
単純明快でなければ通じない。
語調が強くなることもある。
傍から見たら、「やりすぎではないのか?言い過ぎではないか?」と思われるかもしれない。
だけど、「あなたならどうやってできるようにさせるのですか?しかも、与えられた時間内に。」
「できますか?」
結局、できないのだ。
指導できないし、言うことを聞かせられない。
評論家とは議論したくない。
自分の手を汚さない人、トライしない人、アイディアを出さない人、悩まない人。
そういう人に限って文句を言う。
批判するのだ。

弊社は常にオープン。
隠すものなど何もない。
養護学校の先生にはいつも言う。
「弊社は厳しいですよ。世の中は厳しいですから・・・・。」
「厳しい」とはいったいどういうことか。
できるまで指導する。
ダメなものはダメと指導する。
そういうことだ。
「頑張ったよ。できなかったけど・・・。」
「努力したからいいじゃん。うまくいってないけど・・・。」
一歩外に出れば、そんなことは評価の対象にもならない。
企業では結果を出さなければならない。
学校の環境とは違うのだ。
そして、結果を出さない人たちは仕事を失っていくことになる。
それが一番「厳しい」ではないか。
厳しさと優しさというのは表裏一体のものではなかろうか。

彼らができることをみんなに証明する。
『そのためには自分が必要だ。』と言い聞かせる。
彼らが組織の一員として「ありがとう」と言われる存在になるまで頑張るのだ。