Feb. 23

昨日、スーパーに買い物に行ったら養護学校の展示販売を行っていた。
誰だって一度は目にしたことがあるだろう。
陶芸や手芸、木工などが定番。
生徒や先生たちの様子を遠巻きに観察。
障害児教育に携わって現在の職に就いている自分は厳しい視線で見てしまう。
単刀直入に言うと教育機関としての体をなしていない。
悪い言い方をすれば、託児所である。
製品は力作なのであろうが、同情を買うような商売をしている。
お涙ちょうだい的な社会とのつながり。
こんなことを言うと、先生方からは批判の嵐になるだろう。

なぜ、こんな言い方をするのか。
人間として生まれてきた以上、みんな平等である。
少なくとも自分はそう思っている。
男だろうが女だろうが、健常者だろうが障害者だろうが・・・。
だが、実際には世の中は平等ではない。
そもそも世の中というのは理不尽なものなのだ。
それを解った上で、乗り越えていくことに人生の面白さがある。
誰かのせいにしたり、社会の批判ばかりしても先には進むことはできないですから。

養護学校の先生の多くは意識レベルが低い。
製品を売るからには
「これって障害を持った子たちが作った製品なの?」とか
「ここはどこのお店の催しものだ?」
と思われるレベルを目指してほしい。
24時間テレビ的な「みんなオンリーワン」みたいなやり方が嫌いなのです。

障害を持った人だって権利があるのだから、きちんと主張してほしい。
自分は偏見のある人たちに彼らの存在と主張を認めさせたい。
そう強く思っている。
そのためには・・・。
高い目標を持って取り組むのです。
「結果を出さなくてはならない」という意識を持つんです。
「出さなくては」というより「出させなくては」ならないのです。
製品を買っていく人が哀れみの気持ちが介入しているようではいかんのです。
先生たちはそれに甘んじていてはいかんのです。
製品が売れなくても自分の職がなくなるわけじゃないから工夫がない。
生徒が就労できなくても責任を問われないからチャレンジしない。
そういう風に見えます。
「生徒は頑張っています!」
それはそのとおりでしょう。
でも、頑張る方向が違いませんか?
物を買ってもらうという視点が欠如していませんか?
売るための工夫をしていますか?
「これは教育の一環ですから・・・」という逃げ道なんて作っていては進歩はあり得ません。

「我が社の社員もそれくらいの意識はあります!」
と思いたい・・・。

応援したい。
それが本音です。
一緒に取り組めるものがあるのに。
歩み寄ってくれる人が現れないと何もできないのか。
ため息をつきながら、データ処理に追われる。