Jan. 10

NHKのラジオを聴いていたら、ラグビーの話をしていた。
3年後にワールドカップが開催されるのだが、釜石が試合会場に選ばれ復興と並行してみんなが奮闘しているという。

ラグビー選手たちが復興の片付けやボランティア活動をしていると、「こんなことしてないで練習しろ!勝ってみんなを勇気づけろ!」と叱られたのだそうだ。
「ラグビーなんかしてる場合か?復興のために力を尽くせ。」と批判的な発言をするのは、実は自分たちでは何もしない、手を汚さない人たちのようだ。

十何年も前のことだが、釜石シーウェイブス(新日鉄釜石が前身のチーム)に招待され試合をした。
震災時には彼らのホームグランドの釜石市球技場にも津波が押し寄せたと聞く。
彼の地は今どうなっているのだろう。
懐かしさとともに、何もしないでいる自分に罪悪感のうようなものが湧いてくる。

ワールドカップの試合が行われることになっているのだが、肝心のスタジアムがない。
これから建設するのだという。
これは金銭面も含め大変なことだ。
かつてラグビーでは7連覇し、鉄の町として繁栄したのは昔の話。
高齢化や過疎の問題も抱えている。
加えて震災も起きた。
ワールドカップ後のビジョンもしっかり描きたいものだ。

たかがスポーツ。
たかがラグビー。
そのようなことをいう人がいる。
その通りでございます・・・。
自分のように観るだけでなく、プレーする側としてもそれなりにやってきた立場からすると、簡単に話を終わらせるわけにいかない。

スポーツは娯楽である。
遊びである。
だから楽しい。

生きていくために本当に必要なものか?
そう問われて、みんなはどう答えるのだろう。

衣食住をベースとすると、娯楽というのは上層の階層に分類される。
最低限生きていくためには必要のないものだ。

生きていくのに精一杯な人たちがいる。
日本にはいない。
海外に目を向けると、そういう人たちが何十億といる。
日本は本当に恵まれている。
中国では日本で生活保護を受けて楽に暮らすためのHow to本が売れているという。

生きるのに精一杯の人たちが、衣食住のことだけ考えているかといったら実はそうではない。
逆により上層の欲求が我々のような恵まれた存在の人間よりも強いのだ。
自分たちにできないことをやってしまうエンターテイメントに熱狂する。
スポーツは芸術(アート)と同じだ。
人の心を動かすものがある。
人々の心を結びつけたり、一つにする力がある。

「スポーツなんてやってる場合か?」
正論は承るが、正論だけで人の心は動かない。
人の心は一つにならない。

イチローは3割を打つ。
我々だったらボールにかすりもしない。
打率0割だ。
あんな華麗な守備だってできない。
五郎丸は80%のキック成功率。
足も速くなきゃいけない。
突進してくる相手も止めなきゃいけない。
選ばれたものにしかできない。

自分達には出来ないことを実現してしまう能力。
それをみんなが見ている前でいとも簡単に発揮してしまう。
だから、みんな熱狂するし、興奮する。
私生活の嫌なことやストレスを忘れさせてくれる。
心を癒してくれる。
人間は生きていくためにはそういうものが必要なのだ。

人間は欲を捨てることはできない。
満たされるとその上の階層の欲を満たしたくなる。
そういう動物なのだ。

ワールドカップの開催が復興の手助けになればいいと思う。
辛いものを吹き飛ばしてくれるような選手たちの活躍も見たい。
みんなで盛り上げて停滞した雰囲気を払拭したい。

ただし、祭りの後のこともちゃんと考えとこーね。