Jan. 16

以前、義足の走り幅飛び選手であるレーム選手について書いた。
オリンピックに出場すればメダルを取れるだけの実力をつけたことで論争が起きているようだ。
批判的な意見が散見される。
技術的なドーピングであるとか、ずるをしているとか。

朝礼で多様性と障害について話した。
「○○症候群」「○○症」といった病気や障害について、目にしたり耳にしたりする機会が増えた。
誰にでも起こりうることだし、身近に関わることも増えている。

日本の常識が他の世界では非常識だったり、その逆もある。
昨日まで常識と思われていたことが、今日には非常識になることもある。
世の中の動きが非常に早く、情報のスピードも格段に上がった。
多様な考えや生き方を認め合う世の中になってきた。

人工知能やロボットの技術が日進月歩で向上しているわけだから、義手や義足だって生身の手や足のように動かせるようになるのも時間の問題だろうと思う。
だから、同じ種目であればパラリンピックの記録がオリンピックの記録を上回る時が来ると思う。
より高いパフォーマンスを発揮する素材や技術が生まれるだろうから当然の流れだ。
そうなったとき、垣根がなくなるのかどうなのか興味深いところだ。
健常者といわれる人たちの競技がマイナーな大会になり下がることだって考えられる。

さまざまな考え方があり、生き方がある。
病気や障害といったものは、その人の単なる特性や個性というとらえ方に変化していくように思う。

障害を持った人の気持ちはわかるだろうか。
わかろうとする努力は今までしてきた。
わかっているわけではない
できることといえば、寄り添うことだけ。

障害を乗り越えようとするときのエネルギーは一流といわれる人たちの発するオーラと重なって感じることがある。
何かを失えば、それを補うものがより発達し、常識を覆すようなパフォーマンスを発揮することがあるのだ。

人を傷つけているわけでもなく、世の中をめちゃくちゃにしようとしているわけでもない。
障害を乗り越え、頑張っている人たちを応援しようじゃないか。
そのうち、「障害があるから・・」というような考え方だって薄れていくことだろう。