July 11

岩手の中学生が自殺し、いじめが要因の一つであるとの見解が示された。

いじめはどこにでもある。
学校に限ったことではない。
子供たちの世界だけでもない。
我々大人の世界にだってある。
会社にだってある。

我社にだってあるかもしれない・・・。
言われないとやらない。
やれと言われたらやる。
これは上司に対するいじめじゃー!
いじめになんかにめげず、がんばろう!

そんなことはどうでもいいのだが。
今回の件について、改めて思うことがある。
加害者と被害者ばかりがクローズアップされて、何だかしっくりこない。
親はいったい何をしていたのだ?
子供があんなに悩んでいたのに・・・。
気がつかないなんてありえないでしょう。
学校に行かないという選択肢だってあるじゃないか。
こんなに情報があふれ、学校の勉強する内容なんかはちっぽけなSDカードに全て収まってしまう時代。
本人次第で世界といくらでもつながることはできるし、勉強だってできる。
仕事だってできるぞ。
学校に通うという行為そのものを見直したっていいじゃないか。
昔作られた法律や慣習に縛られていたら、新しい未来が開けないでしょう。
親は学校や生徒たちの責任を問いたいのだろうが、親としての責任はどうなんだ?
人間は最後は独りぼっちだ。
でも、理解してくれる人がいるから頑張れるんじゃないか。
友達や先生がダメでも、親くらいは味方してくれるもんじゃないのか。

「いじめから逃げてはいけない」という教え方はあるだろう。
正当な意見として承ろう。
自分みたいな人間は、まあその考えを当てはめられても大丈夫かもしれない。
でもね、誰かしら心の支えになってくれる人がいないと耐えられないもんです。
一生懸命自己暗示をかけたりして、何とか奮い立たせることはしばしば。

親が子供の最後の支えになってくれなきゃ辛いよね。
行き場がないじゃない。
耐えるのも必要な時があるけど、逃げなきゃいけない時だってある。
まだ、中学生じゃないか。
学校なんて行かなくたっていい。
そのうち、今の学校という概念が崩れさる時が来るから。
不登校なんて言葉も死語になるから。
独りのときでも心の支えになる何かがあるといい。
それはいつも自分で探していないとね。

いじめはなくならない。
だから、どうやって気持ちの折り合いつけるのかを考える。
人生のある一時期、避難したっていいんだ。
いつかは正面から向き合わなくてはならないときが来る。
それは誰にもわからない。
自分で決めるのだ。