May 2

みんながまだ寝ている間に仕事をしたり、夜遅くまで仕事をしたり、休日なのに出てきて仕事をしたり。
本来はそうならないように采配を振るうのが上司や私の役目だ。
もちろん、本人もそうならないような意識を持って取り組むべきである。
でも、人間が関わってものづくりをしている以上、問題は起こるもの。
当然、想定時間内に終わることがない。
その対応をしている仲間がいてくれることで我々の組織が保たれていることを忘れないでほしい。
「自分の与えられた仕事はこれとこれで、それをやったんだからいいでしょう」
「私の仕事はここからここで、他の仕事は振らないでほしい」
こういう考え方は違うと思う。
そのような内容を朝礼で話した。

あまり反応がない。

人生の中で、何かに死ぬほど取り組んだ経験があるだろうか。
これ以上続けたら、おかしくなるかもしれないと言えるような経験をしたことがあるだろうか。
時間を忘れて夢中になったことがあるだろうか。

一度や二度はあってもいいよね。
仕事上で。

スポーツの世界では非科学的なトレーニング方法がやり玉にあがることがある。
超体育会系に所属しながら、特にその手法や精神的部分を否定してきた自分。
しごきや目的の明確でない練習は大嫌いだ。
まあ、好きな人なんていないけどね。
それを経験した人たちが、今度は指導者として同じことを繰り返す。
アホである。
では、何をもって科学的なのか。
合理的なのか。
それはあくまで現状を否定し、新たな取り組みをした結果、成果が出たという場合が多い。
「こっちの方が合理的だったね」
なんてことが多いのだ。
だから、非科学的か非合理的かはそれをまずは一生懸命やってみないとわからない。
そして、それを否定してみて正反対のやり方をやってみる。
そういう試行錯誤があってわかってくることでなのである。

なぜ、私が体育会的な練習やトレーニング、精神論が嫌いなのか。
それは、周囲が止めるほど猛烈に取り組み、その結果、「これはあまり意味がない」と結論を出したのである。
いつも自らが実験台となっているのだから、主張したっていいよね?

我々が直面していること。
‐今は‐そこから逃げてはいけない。
面倒なこと、みんなが嫌がること、理不尽なこと。
それを自ら取り組み、乗り越えていこう。
そういう経験をたくさん積んでいないと、何が合理的でどんなことが生産性が高いかなど理解できないのです。
理解できれば、新しい世界が見えてくる。
チャレンジする勇気が湧いてくるんです。