May 27

ラジオのニュースを聞いていた。
公立中高の英語の授業について。
全国で調査したところ、英語教員は英検準1級レベルが半数に満たないそうだ。
授業は英語のみで進められるように推奨されているが、半数の先生が実施していないとのこと。
これではいつまでたっても外国語を話せるようにならない。
以前、英語教員のTOEICの平均点が600点に達しないと聞いた。
これは、海外では英語を習うレベルで、教えるという次元ではない。

以前も書いたが、「英語勉強する」から「英語勉強する」に変わらないとダメだ。
インターネットの言語は70%が英語であり、何だかんだいっても英語が共通語である。
ネットで使用されている言語の70%が英語であれば、受信するにも発信するにも英語ができなきゃ話しにならない。
相手にされない。

学校を選択する自由はあるわけだから、英語のみで授業を行う公立学校があってもいいのではないか。
私立であれば他の言語も含めどんどんやればいい。
「日本語がきちんとできるようになってから・・・」という意見がある。
それは一理ある。
だけど、外国語で日本語という言語、日本の文化を学ぶというアプローチがあってもいいのだ。
より客観的に自分たちを見つめることができるようになる。

言語は必要に迫られないと上達しない。
最近は外国人で日本語が上手な人が増えた。
秋葉原周辺へ行ってみてください。
オタッキーはすごい!
アニメやコスプレのオタク系のみなさんは、流行りの言葉なんかは自分よりも使いこなしている。
みんなYouTubeなんかで一生懸命勉強して日本に乗り込んでくるのだ。

日本は国民全体が内向き志向で、外界との接触を好まない傾向が強まっている気がする。
外国人どころか、身近にいる人ともろくにしゃべらない人が増えていないか?

外国人の教員を増やした方がいい。
教員免許なんて、大した意味がない。
それは当の教員が一番よくわかっているはずだ。
教職課程を出てきた人は超がつくほど頭が固い。
指導案の書き方ばかり勉強している。
答えの書き方を覚えさせるのが指導だと思っている人もいる。
そんなものどうでもいいでしょう。
子供たちへ動機づけや学ぶことの楽しさといった教育の根本部分に立ちかえった方がいい。

机上の勉強はビデオで予習・復習しておいていもらって、授業ではその場でしか味わえない臨場感のあるものにした方がいい。
何かを調べるのだって、iPadやPCを使ってGoogleればいいのだ。
多くの情報から自分なりの論理を組み立て、自分なりの答えを発表する。
そういう授業を展開することが社会に出ても役に立つではないか。
既存のものを覚えさせても意味はない。
今まで授業でやってたことなんて、もう通用しない。
答えだと思っていたものは、ものすごいスピードでどんどん変化していくわけだから。
「あなたはこの問題に対してどう思うのか、どう考えるのか」
それを日本語はもちろん、英語で表現することが今の世の中で求められているのだ。

なんだか話がそれてしまった。

文科省は英語の先生に研修を受けてもらおうとか、英検を受けてもらおうとか言いだすだろう。
アホだ。
外国人の教員を雇った方が早いし、生徒にとってもいい。
そもそも英語のできる人は、その語学力を生かして世界を相手にビジネスをしている。
それができないレベルの人が教えているんだから発展性が低いじゃないか。

地域性を生かした語学の授業を展開してもいいのではないか。
北海道や新潟などはロシア語を。
福岡や佐賀などは中国語を。
島根県や鳥取県はハングル語をというように、地域の特徴を生かした語学教育や文化交流が発展してもいいじゃないかとも思う。
長野県はまずは他の都道府県の人々を受け入れましょう。
異なる考え方の人を受け入れるところから始めましょう。